「売春、麻薬、賭博などの社会悪は根絶はできない」 日本人が知らないアノ超保守国の理念
ゲイラン地区にて筆者撮影
清潔なガーデンシティとして名高いシンガポールに、怪しい売春街があるのをご存じでしょうか。売春街はゲイランという地区にあります。
その一角に足を踏み入れると、右を向いても左を向いても置屋だらけ。街娼がたむろする路地裏には即席の賭場がいくつも開かれ、汗臭い労働者たちがサイコロ賭博に熱狂しています。露店商が並べているのはエロDVD、密輸タバコ、精力剤、大人のおもちゃなど、この国では禁じられているモノばかり。
統制が厳しいシンガポールにおいて、これほどアナーキーな場所は他にありません。ゲイランは、清潔を売り物にするシンガポールの陰の顔です。
置屋の女性たちは「公娼」です。
ストリップ劇場はなく、映画のエロシーンへの検閲も厳しく、06年まではオーラルセックスやアナルセックスまで法律で禁じていたシンガポールですが、意外なことに売春は「合法」です。置屋と娼婦はライセンス制で、警察の厳格な管理の下、ゲイランのような指定地域でのみ稼働が許されています。
犯罪化して根絶するのではなく、封じ込めと管理を徹底する――。これが19世紀のイギリス植民地時代から続く、シンガポールの売春対策の基本理念です。
保守的である一方、プラグマティズム(実用主義)に徹しているのがシンガポールの特徴です。売春に関しては、いくら取り締まっても根絶は不可能として、それならば合法化して性病や性犯罪を抑制し、税収を得た方が実用的という考え方です。
シンガポールの国父である故リー・クアンユーは、回顧録でこう述べています。
「売春、ギャンブル、麻薬・アルコール依存症などの社会悪はコントロールできるだけで、根絶はできない。シンガポールの海港としての歴史が意味するのは、売春は管理され、町の特定地域で女性の定期健康診断を課しながら行われる必要があったということだ」
シンガポールを厳格な管理国家にしたリー・クアンユーも、売春に関しては植民地時代の政策に沿った考えを持っていたことが分かります。
ゲイランが売春街として有名になったのは、90年代半ば以降のことです。それ以前から歓楽街ではありましたが、売春は置屋だけで行われていました。ところが90年代半ばから大陸中国人の街娼が激増し、夜道を女たちが埋め尽くすようになりました。日本人の好事家の間に「シンガポールのゲイランが凄い」との噂が立ち始めたのもこの頃です。
同じ頃、ゲイランには安価なホテルが続々と建設され、これらが時間貸しのシステムを導入したことで当地は「ラブホ街」としても栄え、売春街としての要素をますます満たしていきました。
ちなみに、ゲイランにはシンガポール人の娼婦はほぼ存在しません。単純労働を外国人に頼っているこの国では、セックス産業も外国人女性で成り立っており、ゲイランの公娼もほとんどが中国人とタイ人です。
容姿だけなら、個人的には中国人が勝ると思います。その差は値段にも表れていて、タイ人が50~80Sドル(約4000~6500円)なのに対し、中国人は100~150Sドル(約8000~12000円)と高めです。
置屋街の女性たち
置屋は昼間から営業していますが、色街が活気づくのは夕方過ぎから。日が暮れると、遊び人風の若者や、こぎれいな格好をしたビジネスマンたちが、ひとときの快楽を求めて路地を行ったり来たり。出張者らしき日本人も目につきます。
日本にも一昔前、このような色街が各地にありました。
西川口、堀之内、黄金町、真栄原、五条楽園……。いずれも怪しげで面白味のある色街でしたが、「違法」ゆえに、すべてお上に潰されてしまいました。
現在、日本ではカジノを含む統合型リゾート(IR)についての議論が深まっています。その日本がお手本としているのが、IRが成功したシンガポールです。
ついでと言ってはなんですが、売春対策もシンガポールを見習ってみてはいかがでしょう。(取材・文◎霧山ノボル)