角材で殴られ続けた小学生のこどもと妻 学校から職場から帰る家は「地獄」でしかなかった――(閲覧注意)
被告人菅野竜也(仮名、裁判当時45歳)はある日突然「仏像を造る」と言って長さ1メートルの角材を買って来ました。結局、仏像造りを途中で投げ出して放置されたその角材は以降、当時まだ小学生だった二人の子供たちを『しつけ』という名目で殴ることに使われました。
殴る理由は些細なものでした。隠し事をした、正しい返事ができなかった、そんな理由です。妹よりも兄のほうが頻繁に殴られていました。
「男のくせに根性がない」
そう言って、「顔が真っ黒になるまで」殴られたこともあるそうです。また理由などなくても、酔っぱらって機嫌が良い時などにも子供たちに対して角材や拳で暴力をふるっていました。
子供たちへの虐待を妻の奈津美(仮名)は止めることもなくただ見ているだけでした。
はじめは止めようとしたこともありました。しかし夫には何を言っても聞きませんでした。彼女は当時、夫による子供たちへの『しつけ』をどう思っていたのか問われてこう供述しています。
「私には父がいません。育ちもよくありませんでした。いきすぎだと思って止めたこともあったけど、『お前は育ちが悪い』、『お前には父親がいないからわからないんだ』、『俺の父親はこうだった』などと言い返されると何も言えなくて…。あと、息子が小学校二年生の時に『発達障害かもしれないから病院に行くように』と言われたことがあって、その時に夫に『育て方が悪い』、『俺のしつけに口を出すな』と強く言われて、もう私の力では育てられないのかなと思っていました。何も言えなくなりました」
後年、夫の暴力は何も言えなくなった妻にも及んでいたようです。
勇気を出して竜也の暴力を止めたこともありました。娘が小学校低学年だった時のことです。彼がどんな理由で娘に『しつけ』をしていたのかは覚えてないそうです。おそらく、些細なことだったのだと思います。いつものように娘を叩いている夫を、はじめは見ているだけでした。『しつけ』は一時間以上続きました。途中、「一服するから変わってくれ」と彼に言われて彼女も娘を何発も叩いたそうです。
その『しつけ』がだんだんエスカレートしていきました。もう泣く元気もなくなりぐったりしていた娘を、彼は持ち上げて床に叩きつけはじめました。それを見た彼女は我にかえりました。
「それ以上やったら死んじゃうから止めて!」
そう叫んで彼女は夫と娘の間に割って入りました。それでも興奮しきっていた彼は収まりませんでした。
「殴られるか、坊主にするか選べ!」
激昂して怒鳴る彼に対して彼女は
「坊主にするから止めて!」
と必死に懇願しました。結局、娘の髪の毛を剃り落として坊主にすることでなんとかその日の『しつけ』は終わったそうです。このあと、虐待がバレるのをおそれて、夫婦は娘に学校を3週間ほど休ませました。
圧倒的な暴力で家族を支配する父親
子供たちだけを家に残して夫婦で外出する時が月に何度かあったそうです。何をしに外出していたのかは裁判では明かされていません。夫婦はいつも、子供たちの手足をビニールテープで縛ってドアノブやカーテンレールに繋いでから外出しました。
「冷蔵庫を勝手に開けないように」
「俺の家の物を勝手にいじらないように」
それが竜也の言い分でした。奈津美はもちろん逆らえませんでした。普段から彼は子供が冷蔵庫を開けることを禁じていて、勝手に開けると怒鳴ったり殴ったりしていたそうです。
「冷蔵庫を開けてもいいですか?」
こう彼に聞いた上で許可がなければ子供たちは家の冷蔵庫を開けることは許されていませんでした。
夫婦の外出は長いときには5時間以上になりました。その間、縛られている兄妹はトイレに行くことも出来ません。お漏らしをしてしまうともちろん後で『しつけ』をされます。一度、妹が下着を隠してごまかそうとしたことがありました。その時は結局後で見つかってしまい、
「ふざけるな」
「くせえんだよ」
などと怒鳴られながら『しつけ』を受けました。
この家の中では、竜也の言うことは絶対でした。封建的な考え方と圧倒的な暴力で家族を支配する父に逆らえる者は誰もいませんでした。ただひたすら嵐が過ぎ去るのを従順に耐え忍ぶ、そんな日々が続くうちにいつしか逆らおうなどと考えることも出来なくっていったのだと思います。
写真はイメージです
竜也は仕事に就いていませんでした。
「友人と新しい事業を立ち上げる」
といって、ずっと家でパソコンに向かって何かを調べたり作業をしていました。時折、「打ち合わせ」と言って出かけて酔って帰ってくるぐらいで、一向にその新しい事業は始まりませんでした。この家の収入はすべてラーメン屋で働く奈津美の収入に依存していました。
「なんで働いてくれないんだろう」
彼女は内心ではそう思っていたそうですが、そんなことを言えるはずもありません。竜也が待つ家に帰るのは苦痛でした。竜也の定めるルールでがんじがらめにされた家では、心が休まる時間は全くありません。子供たちも同様でした。学校の友達と遊ぶことはルールで禁止されていたので、学校が終わればまっすぐ家に帰ってこなくてはなりません。宿題や勉強を長男は廊下で、妹はリビングの床でやっていました。部屋に入るのには竜也の許可が必要だからです。
「俺の家の中を俺の許可なく勝手に動くな」
これが竜也の定めたルールの主旨でした。
奈津美にも、仕事が終わった後どこかで少し息抜きをする自由すらありませんでした。仕事が終われば必ず彼にラインで連絡をしてすぐに帰宅しなければならないというルールがあったからです。このルールを破る勇気は彼女にはありませんでした。
父親からのLINEを隠そうとする娘
娘が中学校に入学してからしばらく経った時に事態は進展しました。奈津美の携帯に娘から「今から帰る」という内容のラインが届きました。普段はこのような連絡はいつも竜也にしていたのですが、この時彼は奈津美への暴行を目撃した人に通報されて傷害罪で留置されていました。家に帰ってきた娘は彼女に、
「お父さんいないけど一応ラインしないといけないと思った」
と話していました。そんな娘に彼女は何気なく尋ねました。
「お父さんにはいつもどんな感じのラインしてるの?」
聞かれた娘は何故か答えようとせず、隠そうとしました。娘の態度に不審なものを感じた彼女は娘を問い詰めました。
「なんで隠すの?」
「だってお母さんが見たら怒るから」
「ちょっと携帯見せて」
「ヤダ。見せられない」
そんな問答がしばらく続いた後に、観念したように娘は言いました。
「『愛してる』とかはいってるけど、いい?」
「何それ?」
言葉に詰まりました。聞きたくない。知りたくない。でも、聞かないわけにはいかない。
「何かあるの? 何かされてるの?」
黙って頷く娘にさらに問いました。
「……ヤられてるの?」
「うん」
もう冷静でいることは出来ませんでした。取り乱して泣き出す母親を見て、娘も泣き出しました。しばらくの間二人で抱き合って泣いたそうです。落ち着きを取り戻してから彼女は何が起きていたのか聞きました。
「いつからあったのか、どうして言えなかったのか、何をされてたのか話して。全部、ちゃんと聞くから」
「小さい頃、幼稚園の頃から、たくさん色んなことされた。お母さんがいないときに家からお兄ちゃんを追い出して、その時にキスされたり、抱きしめられたり。あと、おまた舐められたり、おちんちん舐めさせられたり、おちんちんから出てくるのを飲ませられたり。小六くらいから指を入れられることが多くなって、中学生になってすぐヤられた」
「なんで早く言ってくれなかったの?」
「言いたかったけど、私が言ったら全部終わるから」
この後に帰ってきた息子も連れて、三人は家から逃げ出しました。
* * * * * * *
「今、被告人に言いたいことはありますか?」
そう検察官に問われた奈津美は静かにゆっくりと話しはじめました。
「なんてことを…。自分の娘に10年近くも…、およそ人とは思えない。自分がどれだけのことをしたのかわかってほしい。三人で悔しくて何度も泣いて…もう生きるのも辛い。娘は10年も汚されてきた。だから最低10年は刑務所に行ってほしい。その後の人生は償いのためにあると思ってほしい。馬鹿じゃないの…」
裁判に出廷することはありませんでしたが、被害者である娘は被害感情について検察官に、
「償いなんていらない。死んでほしい」
と話していたそうです。
彼女は毎日、学校から帰る度に自宅マンションの最上階まで上がるのが習慣になっていました。まだ幼い彼女が毎日どのような想いを抱いて14階からの景色を見下ろしていたのか、想像するだけで胸が締め付けられます。
被告人・菅野竜也は全ての罪状を否認しました。謝罪の言葉も一言もありませんでした。人間とは一体どこまで醜くなれるのでしょうか。地獄は物語や空想の中でなく、東京の片隅の住宅街の一角に確かに存在していました。(取材・文◎鈴木孔明)