昭和末期「子供は風の子」という恐怖のスローガンが小学生たちを苦しめた|中川淳一郎
子どもは風の子、自然の子―『ジャングルおじさん』の自然流子育て(1987)
校則というものはいつの時代にも違和感をもって捉えられるものだが、昭和末期の多くの小学校には「男子は長ズボン禁止」という校則があった。これが一体もってして人体にどれだけ好意的な効果をもたらすのかはよく分からないのだが、当時の小学生はこの校則に従っていた。
冬の通学時、男子生徒の腿は真っ赤になっており、しもやけができている者もいて本当に痛々しい状態だった。保護者から「これは児童虐待です!」という声があがってもおかしくなかったのだが、不思議とそういった声はなかった。ただし、生まれつき心臓に病があるA君だけは長ズボンでの通学が許されていたが、これが「やーい、長ズボン!」とバカにされる事態となっていたのである。
当時「子供は風の子」という言葉がしきりと言われていたが、最近はあまり言われていない。つまり、「子供は風の子」というのは、「お前ら邪魔だからとりあえず外にいろ」という昭和前半生まれの親達が考えた方便だったのでは、とも思ってしまうのだ。或いは労働人口の担い手としての子供をたくさん産むべく、日夜性行為に励むため、子供に家の中にいてほしくなかったのでは、といった的外れな仮説を思いついてしまった。
それはさておき、いくら昭和末期の子供とはいえ、冬は寒い。休みの日である日曜日には長ズボンを履いているというのに、月~土曜日(当時は土曜日も学校があった)をいかに乗り切るかを考えた場合、途端に輝きを放つのが「サッカーをやる」ということである。
なぜかといえば、サッカー選手は膝までの長いソックスをはくものである。サッカー部に入っている生徒達は、秋以降になると毎日サッカーのソックスを履いて学校に来ていた。これにより、少なくともふくらはぎと膝までは防寒が可能なのである。だからこそ、サッカー部に入っていない子供達はサッカー部の連中に対して「お前らは温かそうでいいなぁ…」とブーブーと文句を言っていたのだ。
サッカー日本代表は私が生まれた1973年生まれ以降の選手が主力となった1998年のW杯フランス大会を皮切りに6大会連続出場を果たしている。これにはサッカー人口の増加に伴うレベルアップとJリーグ誕生という要素があると考えられるが、サッカー人口の増加には案外「短パン通学の強要」という当時の小学生に対する意味のない校則が影響していたのではなかろうか。
1970年代までは野球の全盛時代であり、冬になると寒さに苦しんでいた全国の子供達は「あっ! サッカーやればあの長いソックスをはける! そうすれば温かいよね!」と考えた――。まことに奇天烈過ぎる仮説ではあるものの、それだけあの頃の冬というものは子供達にとっては厳しいものであった。
小学生当時の私の写真を今、アルバムで振り返ってみると、雪の中、ジャンパーと長靴を履いているものの、短パンで腿を丸出しの写真が存在する。夜であろうとも外にいる場合は決して校則を破ってはいけないと感じていた昭和の健気かつ人権意識の低い少年の姿をここに見ることができるのだ。(『オレの昭和史』中川淳一郎連載・第十六回)