苦手な4月は自分のハードルをどんどん下げよう。役に立たなそうなゆるいライフハック。|成宮アイコ・連載 第十二回

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死ぬほど苦手な「二度目まして」

昨日のわたしは、テキパキとお風呂に入れたから天才でした。

「入るぞ…」と決めてから30分以内にお風呂に入ることができたら、「よしよし、今日の自分は天才だぞ」と思うルールです。そんな風に、笑ってしまうくらい自分のハードルを下げて生活をしています。特に桜が咲くこの季節は。

春の全てが苦手です。
新学期、クラス替え、新社会人、部署の移動、転職、転勤、環境の変化…。ただでさえ人間関係の構築に時間がかかるタイプなのに、1年をかけてやっと慣れてくると春がまたやってきて、4月になったとたんに強制的に再スタートとなります。そしてまた変化に馴染むまで、緊張に身をこわばらせる日々の始まりです。

Rooftopで連載をさせてもらっているコラム(「炎上しなくても、オチがなくても、爪痕を残さなくてもいい」)にも書いたのですが、”二度目まして” がうまくできません。

“はじめまして” はまだ楽です。自己紹介から始まり、好きな音楽や好きな本の話でもしていればなんとなく盛り上がり、時間も過ぎます。初めてなので、質問の引き出しもたくさんあります。良きところで良き相槌をうっていれば、場も和やかになりますし、ときには、「成宮さん面白いね」なんて言われることもあります。

しかし、問題は二回目以降です。

もともと会話のキャッチボールが苦手なので、初回でひととおりの質問も済み、だいたいの人となりがわかってしまうと、もう何を聞いたらいいのかわかりません。そもそも会話って質問をしあうインタビュー形式ではないはずだよね…と思いつつ、相手がなにかを話してくれても、「はー、なるほど」以降の言葉が出てきません。
なるほどってなんだよ、と頭の中で反省をするのですが、やっぱり他に何も思い浮かびません。ひとこと言い合うごとに、なんとなく「ヘヘヘ…」と笑って沈黙になってしまいます。一体、他のみんなは何を話しているのだ! たわいもない会話の議題を教えてほしい! 頭の中は焦りでいっぱいです。これからこの新しい環境で、新しい人間関係をつくっていかなくてはいけないのに。

お風呂に入れないあるある

そんな日は、家に帰ってひとり反省会をはじめがちですが、そのまま落ち込んでしまうとついうっかり春の落とし穴にはまってしまいます。それは回避したいので、ひたすら自分の基準やハードルを下げるように意識を向けてみることにしました。

それが、冒頭の一文でした。

鬱ぎみの方にとっては “あるある話” だと思うのですが、憂鬱な気分のときはお風呂に入るという行為がとてもたいへんです。おそらく、服を脱ぐ、顔を洗う、髪を洗う、体を洗う、服を着る、髪を乾かすといった体を動かす手順がたくさんあるからだと思うのですが、気持ちがついていかない日は服を脱ぎかけた時点で気力が尽きそうになります。

寒いようと思いながらも、服を着なおすでもなく(たぶん退行するわけにはいかないという最低限の抵抗の気持ち)、さっさとお風呂に入るわけでもなく、なんとなくスマホをいじったり、ベットに寝転がってみたり、早くお風呂に入らなくちゃと言いながらも、気づけば1時間以上たっていたなんてことがたびたび起こります。だから、「テキパキとお風呂に入れた日は天才」なのです。

この勢いでどんどん続けます。
外出して人に会ったのだから天才。話すことが苦手なのにちゃんと会話ができたから天才。「なるほど」と相槌がうてたから天才。ポストに郵便物を入れられたから天才。朝起きられたから天才。りんごを剥いたから天才。靴下を洗濯機に入れたから天才。髪をかわかしたから天才。そのあとアイスを食べたから天才。
…このあたりまでくるとだんだんバカらしくなってきます。それでもなにもかも天才、1日をちゃんとやりくりできたのだから天才です。

嫌いなところばかり、劣等感のかたまりの自分自身をむりやり褒めていると、なぜかだんだん笑えてきます。「ほんとくだらないな」と思って笑っていると、うまく話せなかったけれどまぁいいか、と感じたりするのだから不思議です。

だから、パソコンの電源を入れたあなたも天才だし、スマホを人差し指でスクロールしているあなたも天才です。今日までよく生きました、とてもえらいので好きなおやつを買ってよく眠って、また明日から天才の1日を過ごしましょう。と、文字にするとバカらしいですが、落ち込んだときほど自分でなにか行動をするごとに、「天才!」と思っていると、だんだんバカらしくなってくるので、軽い落ち込み回避にはおすすめです。
もしくはわたしのSNSに、「洗濯できた」とか「お風呂に入れた」とか教えていただけた場合は、全力で「天才じゃん!」とお送りしたいと思います。自分で天才と言うよりは恥ずかしさは薄れます。

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眠れない夜のくだらない方法

“よく眠って” と書きましたが、わたしは不眠症の気があるため、小さいころからなかなか眠れませんでした。幼稚園のお昼寝の時間は苦痛でしたし、寝つきが悪いので朝起きるのも大変です。木造の家の屋根がバキっと鳴る音、猫がケンカをする鳴き声、風で何かがバサバサ揺れる音、幼い頃のねむれない夜中はほんとうにこわいものでした。

今でも、夜中の3時を区切りに焦りが出ます。わたしの中で、「3時は夜中、4時は朝」という根拠のない認識があるので、3時半までは夜中ですが、4時に向かって朝が始まりだしているような気がします。自力で眠れるような気がして飲まなかった眠剤を恨みます。「こんなことになるのなら最初から飲んでおけばよかった、でも今から飲んだら起きなくちゃいけない時間にぜったいに起きられない」ベットの中でまた考えごとがはじまりました。

ねむらなきゃねむらなきゃと思うたびに、「寝不足のまま出勤をして、眠たい目をこすり、うだつのあがらない仕事をし、ミスを繰り返し、うたた寝をする」という図が頭をよぎります。だめだ、眠らなくちゃ。遮光カーテンの隙間の色が少しずつ薄明るくなっていきます。SNSを覗いてみると、システムが自動的に投稿をするbotしか活動をしていません。だめだ、眠らなくちゃ。きわめつけはバイクの音、ブーンと家の前に止まってポストにカタンっ! と何かが入ります。朝刊です。完全に朝です。

こういった、眠れないだけで泣きたくなるような気持ちを緩めようと、夜中の3時になってもねむれない日には、撮りためていたおやつの写真とともに、「おやつの時間がきたね」とSNSにアップをしました。すると、驚くことにすぐにコメントがつきました。botしかいないと思っていた夜中3時のSNSに、眠れない人たちはたくさんいたようです。

「おやつの時間が来るぞ…」「おやつの時間が来たよ!!」「おやつの時間も過ぎたというのに」と夜中が来るたびにヤケになって続けていたら、だんだんまわりの眠れない人たちも、「おやつの時間」と呼び始めるようになりました。まったくもっておやつの時間じゃないよな、と思ってなんだか気が抜けます。こわかった家鳴りの音や、バイクの音、猫のケンカの声や薄明るくなる空。なんだ、ねむれない人はたくさんいるんだなと思ったら安心をしたのか、最近は朝刊が入るカタンっ! という音をあまり聞かなくなりました。

気軽に “なにか” のせいにしてしまおう

冬は窓を開ければ冷たい空気にハッとし、夏はジリジリとした日差しで流れる汗にハッとし、身体的刺激によって、「わたしはちゃんと生きていて心と身体が繋がっている、ここに存在している」という気持ちになるのですが、春は室内もポカポカ、窓をあけようがポカポカ、外に出てもポカポカと同じ気温がどこまでも続きます。なんだか、このまま体が風景に溶けて、自分がいなくなってしまうような終わりのない空虚な気持ちになります。
つまり、どうも調子が悪いです。春だからです。

そういえば先日、春の陽気にすっかりメンタルがやられてしまい、人と会話をしている中でぼんやりとしてしまいました。「あっ、ごめんなさい!春のアレで…」と言ったら、「そうですよね、ポカポカして気持ちいいですもんね。どこかに行ってぼーっと過ごしたいですよね」とニコニコと返されました。
わたしの中で、春といえば鬱だったのですが、春といえば気持ちのいい陽気と連想する人もいるんだな、とおどろき、少し笑ってしまったのです。

それから、元気のある日も元気のない日も、春は春のせいにしてみることにしました。

気持ちの調子によっては、あたたかい陽気な日はよけいに落ち込んでしまったりします。「春だからあたたくて気持ちいい」「春だからモヤモヤして鬱っぽい」もしくは、「春だからよく眠れる」「春だから起きられない」こんな風に、いいこともわるいことも、誰も傷つかないもののせいにして、「これは不可抗力だから仕方がないよね」と思っていると反動が少ないような気がします。
環境が変わったり人間関係が始まったり、なにかと苦手な4月、大丈夫じゃないときは大丈夫じゃないよー! と春のせいにしてしまいましょう。

そんな調子で忘れものをしたときにも、「春だからSuica忘れた」「春だからスマホを充電するの忘れた」なんてやっていると、なにが春のせいだよな、とまた笑ってしまうのでした。

(成宮アイコ・連載『傷つかない人間なんていると思うなよ』第十一回)

文◎成宮アイコ
https://twitter.com/aico_narumiya

赤い紙に書いた詩や短歌を読み捨てていく朗読詩人。
朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ全国で興行。
生きづらさや社会問題に対する赤裸々な言動により
たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと決めている。
2017年9月「あなたとわたしのドキュメンタリー」(書肆侃侃房)刊行。