田原俊彦、松田聖子、中森明菜、近藤真彦…昭和のスターは会いに行けないアイドルだった|中川淳一郎
『田原俊彦論』が出版された。田原のことを長きにわたって注目し続けてきたライター・岡野誠氏による書である。膨大な文献と取材を基にした渾身の400ページにおよぶ超大作は、読んでいてとにかく「おもしろい」という感想しか出ない。陳腐過ぎる感想なのだが、おもしろいのだから仕方がない。
高校生の田原が山梨から出てきて、ジャニー喜多川氏からのサポートを受けスターダムにのし上がっていく様と、同世代の綺羅星の如きスターと織りなすストーリーなど、昭和を知る者としては若き日の自分の様子と重ね合わせて楽しめることだろう。巻末資料には「田原俊彦の1982年出演番組表」もついており、そこには「※362本、視聴率合計5,042.8%」というマニアックな数字も出てくる。
昭和の子供たちは思った「アイドルはうんこをするのか」と
さて、昭和のアイドルである。最近でも菊池桃子さんが56歳のストーカー男につきまとわれる被害に遭ったことなどが報じられているが、アイドルといえば雲の上の存在だった。そのオーラを出しまくったのが松田聖子、中森明菜、近藤真彦、そして田原俊彦である。
当時の小中学生の間では「誰派」かを表明するのが当たり前だった。小学生の頃は上記4人に加え、岡田有希子やチェッカーズも割って入ってきたが、中学生に上がると浅香唯と南野陽子もその候補に上がるようになった。
そんなアイドルだが、我々の関心事は「果たしてアイドルはうんこをするか」という話だった。2ちゃんねる開始直後から「(モーニング娘。の)石川梨華はうんこをするか?」という議論が延々続いているが、その前段階として我々の子供時代はアイドル全般がうんこをするか、という点に関心があったのだ。
それだけ子供達はうんこに異常なる関心を抱いており、うんこが自分の体内で製造され、それが茶色くてクサいものとして排泄されることに嫌悪感を抱いていた面もある。学校では絶対にうんこをすることを避け続け、自分はうんこをしない清廉潔白な人間である、とアピールしていた。学校にいる間にうんこをしたくなったら、家に帰ってしまう者もいたほどである。
そんな忌み嫌われるものだからこそ、漫画『Dr.スランプ』を筆頭にうんこは「マキグソ」の形で描かれ、同漫画ではマキグソに顔や手足まで描いて親しみやすくしていたのだろう。数年前、小学生の甥にマキグソの絵を描いて見せたところ「これは何?」と言われた。今の時代、うんこはマキグソではなくなってきたのか? と衝撃を受けたが、「うんこ漢字ドリル」の登場もあり、再びマキグソ時代が到来した。
それはさておき、我々は美しい人や崇高なる職業に就く人はうんこをしないと信じていた節がある。だからこそ、担任の教師がトイレに入るかどうかはチェックし続けていた。教師は教職員向けのトイレを使っていたため、確認することはできなかったが、教師とアイドルのうんこは、我々にとって最大級の関心事だった。
今の世の中のアイドルについては「会いに行ける」などをウリとするところもあるため、うんこをするかしないか、といったファンタジー性はもはやないだろう。だが、冒頭で挙げた田原俊彦にしても、ストーカー被害に遭った菊池桃子にしても雲の上の存在であることは変わりがない。やはり、我々40代以上の世代にとって昭和アイドルは永遠に憧れなのだ。
菊池桃子のストーカーになった56歳男は、タクシーで菊池を乗せて自宅まで行ったことからストーカー化したという。「雲の上の存在でもタクシーに乗るんだ!」「雲の上の存在でも自宅があるんだ!」というファンタジーがぶっ壊れ身近に感じられたところで30年以上前の菊池桃子のあの可憐な姿が思い出され、「あの菊池桃子がオレの範囲内にいる」とばかりにあの狼藉に及んでしまったのでは……、などとも思う。
私の知り合いには芸能人と交際経験のある人間も何人かいるが、その中でも周りから一番羨ましがられたのは中山美穂と交際した男性である。他の女優などは「へー、すごいね」程度の扱いだったが、中山美穂の場合は皆本気で悔しがっていた。
それほど昭和アイドルは特別だったのだ。冒頭に紹介した『田原俊彦論』はそんな昭和アイドルの様々な素顔を見せてくれる快著である。(文◎中川淳一郎 連載『俺の昭和史』)