伊藤詩織監督作「Black Box Diaries」 日本公開へ向けて一歩前進か

伊藤詩織さんが監督したドキュメンタリー映画 Black Box Diaries(性暴力被害をめぐる告発・記録作品)において、 「映像・音声を無断または十分な許諾を得ずに使用した」 との指摘が出ています。
例えば、ホテルの防犯カメラ映像、タクシー運転手の証言映像、元弁護団との通話・録音データなどが、許可の得られていないまま映画内に登場していたというものです
伊藤さん側は一部を「許諾を得ていない」ことを認め、2025年10月時点で謝罪し、修正版の制作・使用を表明しています。
一方、元代理人の 西広陽子 弁護士らは、謝罪表明後も「具体的な修正案/相談が提示されていない」などとして、説明責任の不十分さを問題視しています。
以下、整理して論点を挙げます。
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ホテルの防犯カメラ映像について、当該ホテルや映像に映る関係者から「裁判以外で使わない、ネット配信しない」と書面承諾を得た上で提出されたものであり、映画での使用については「承諾を得ていない」との指摘があります。
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タクシー運転手の証言映像も、本人への連絡・承諾が取れないまま使用されたと謝罪文で認められています。
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録音・通話データ(例えば弁護士との通話)も、被写体側の確認や承諾を得ずに使用されたとして問題視されています。
このような許諾取得の不備は、被写体・関係者のプライバシー・人格権・信頼関係に関わる重要な問題と言えます。
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性暴力被害という社会的にセンシティブなテーマであることに加え、関係者(目撃者、タクシー運転手、ドアマン、弁護士、捜査関係者など)が証言・映像提供していることが背景にあります。無断使用により、証言者が「協力しても匿名性・安全性・用途制限が守られない」という懸念を抱く可能性があります。実際、元代理人は「これでは今後、性被害事件の協力者が出にくくなる」と警鐘を鳴らしています。被写体が特定されえる映像・録音であれば、意図しない形での露出・二次被害・信用の喪失などのリスクもあります。
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伊藤さん側は、性暴力の実態を伝えるために「映像記録がほとんどない現状」で映像使用が“不可欠”と判断したと主張しています。しかしながら、表現の自由・公益性があったとしても、個人の権利(プライバシー、人格)を侵害してよいというものではなく、許諾取得・説明責任・配慮義務という倫理的法的枠組みは残ります。識者も「許諾は基本中の基本」と語っています。
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公益性を前面に出すことで、被写体・関係者の同意・安全を軽視してしまうと、被害者支援という目的自体の信頼性を損なう可能性があります。元代理人側は、謝罪表明後も映画側から「どの映像を削除・修正するのか」「どのように説明してきたのか」が示されていないと批判しています。
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映像無断使用問題が明らかになってから、映画の日本での公開が決まっておらず、公開遅延の一因とも報じられています。このように、被写体・証言者・関係者に対して「何を」「いつまでに」「どう」対応するのか、明確なロードマップが見えないままという点も問題です。
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性暴力被害という重大な社会課題を扱った作品であり、その発言・証言・映像が「無断使用された」という事態は、被害の可視化・証言者の協力という社会的意義にも関わる問題です。映画・ジャーナリズム・ドキュメンタリーというメディア表現の側面から、「被写体の同意」「用途の限定」「倫理的配慮」という枠組みが問われています。
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被害者支援の観点からも、協力者が安心して証言・映像提供できる環境を整えることが、今後の支援・告発・記録活動の信頼性に直結します。映像無断使用が前例化すれば、被害者・目撃者が協力をためらう事態を招きかねず、それ自体が被害者の声を社会に伝える機会を減じるリスクがあります。
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映画制作側(伊藤さん側)は、どの映像が無断使用だったのかを明確に公表し、関係者に対する個別の謝罪・修正案・差し替え・削除の実施状況を透明化すべきです。映画公開前に、被写体・証言者・関係者への同意確認・用途説明・再承諾を改めて行うべきと考えられます。
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ドキュメンタリーや告発型作品の制作プロセスにおいて、被写体側の保護・同意取得・倫理的審査(場合によっては第三者による監査)を制度的に強化する必要があります。被害者支援・目撃者証言の提供を促す観点から、安心して協力できる環境(匿名性・用途制限・管理責任)を確保する仕組み作りが重要です。メディア・制作側は「公益性」を理由に個人の許諾取得や説明を省略することがないよう、自戒すべきです。
謝罪がなされたことは一歩前進ですが、 「説明責任」「修正完了」「被写体へのフォロー」「今後のプロセス明示」 という課題は未だ解決されていません。被害者を取り巻く社会を変えるための作品であるならば、 制作手法・倫理・透明性 の側面でも模範となるべきです。ただ、みの映画自体は、素晴らしい出来であり、加害者がいかにひどいか、が視認できる事から1日も早い日本公開を望みます。(文@編集部)















