午前三時のトンネルから  「えっ? 真弓はあんたと一緒におるんやろ?」|川奈まり子の奇譚蒐集二四


日が暮れゆく開聞岳

今から20年ほど前、まだスマホがなく、携帯電話やPHS電話すら持っていない人も珍しくなかった頃のことだ。
当時19歳の山下真弓さんは、心霊スポットというものを一度自分でも訪れてみたいものだと考えていた。

その頃は地上波のテレビでバラエティ番組の心霊特集がよく放送されていた。ことに、1997年に始まったフジテレビのドキュメンタリー番組《奇跡体験!アンビリーバボー》は、発足当初から2002年頃まで、オカルト・心霊特集を度々放送して若年層を中心に人気を博していた。
この体験談の背景となる1999年前後には、私が敬愛する作家で怪談史研究家の小池壮彦さんも、怪奇探偵として同番組にゲスト出演されていたはずだ。

関連記事:ある一家と霊 「母が見たという女の霊はこれに違いない!」|川奈まり子の奇譚蒐集二三

他にも類似のオカルト系番組は多く、季節を問わず放送されることによって、少なからず人々に影響を与えた。インターネットとスマホが普及する前は、今よりずっとテレビが大衆を煽動する力が大きかったせいもあり、猫も杓子も小学生も「霊視」「除霊」「地縛霊」「背後霊」などという言葉を知るようになった。

そして、ごく標準的な家庭のお嬢さんである真弓さんまで、心霊スポットなるものにオカルト番組のレポーターのごとく突撃したいと思いはじめた次第だ。

彼女にとって幸いなことに、親友の前田知子さんがちょうど運転免許を取ったところで、ドライブしたがっていた。知子さんが運転する前田家の車に乗せてもらって、手近な心霊スポットへ行くことが出来そうである。
さらに好運にも、真弓さんは、知子さんと自分の家のどちらからもそう遠くない――車で片道1時間程度。山下家と前田家はご近所同士――場所に、心霊スポットが存在するという情報をたまたまキャッチした。
お互いの家を行き来し、両親もよく知る知子さんであれば、丑三つ時に一緒に出歩いてもさほど心配されずに済むだろう。こうなると、あとは知子さんを説得するのみだが、親友の頼みなのだから断らないはず……と、高を括っていたところ、初めは拒否された。

「心霊スポットに遊び半分で行ったぁ良うなか! そもそも、どけ行こごたっと?」
「開聞トンネル」
「……名前を聞いただけでん厭な予感がすっで、やめよう!」

しかし、真弓さんはどうしても開聞トンネルに行ってみたかったのだった。
噂では野戦病院の跡があって戦死者の霊が今も彷徨っているらしいし、怪しげな古い神社もあるらしい(※後述する異論を参照のこと)。
さらに、ものの噂では、車で通過すると後部座席がグッショリ濡れるし、トンネルの天井から逆さまになった女が覗いていて、それと目が合ったら、必ずや帰り道で交通事故に遭って死んでしまうのだ。

自分たちが生まれ育った同じ県内に、そんな恐ろしげな有名心霊スポットがあったとは、なんというか……少し変かもしれないが〝誉れ〟だとすら思う真弓さんだった。そこで熱心に知子さんを掻き口説いた結果、とうとう説得に成功し、5月のある夜、2人で開聞トンネルを訪れることが決まった。

ちなみに開聞トンネルに野戦病院跡があるというのは、今日ではデマだとされている(※)。
開聞トンネルは薩摩半島南端に位置する開聞岳という山の麓にある2つのトンネルの通称で、いずれの隧道も1966年にゴルフ場や公園の利用客用通路として造られた。正式名称は南側の隧道が《御倉本1号トンネル》、北側が《御倉本2号トンネル》。いずれの隧道も道幅が狭く、天井も低く、照明設備がほとんど無く、幹線道路上のモダンな大隧道を見慣れた者にとっては如何にも怪しげに写るが、元はゴルフ場などの客専用通路だったと思えば納得できる。
さらに、トンネルが出来る前の戦時中にこの辺りに野戦病院があったという証拠はなく、しかし兵隊の宿舎や基地があったのではという憶測も、開聞岳北側の内陸部に実際に陣地が存在したことがわかっていて、容易に敵と対峙しかねない危険な海(南)側に兵を駐留させる合理的な理由がないので成り立たない。
――では、開聞トンネルには神秘的なところが全然存在しないのか?
それは違う。

異様なまでに美しい開聞岳

まず、開聞山麓には開聞岳を御神体とする枚聞神社がある。依って来る所を山岳信仰とすると思しき創始年月日不明の古い神社だというから、これだけでもオカルト愛好者にとっては充分に面白いことだろう。真弓さんが思っていたのとは怪しさのベクトルが違うかもしれないが。

ここの祭神は神社の紹介文などでは大日孁貴命(おおひるめのむちのみこと・『古事記』の天照大御神、『日本書紀』の天照大神の別名)とされているけれど、本来は海神(わたつみのかみ/かいしん・日本神話なら大綿津見神が有名。海外ならギリシア神話のポセイドンやローマ神話のネプチューンが誰しも知るところ)だったのではないかという説がある。円い山裾の6割方が海に突き出した開聞岳の特殊な立地から、枚聞神社は航海神としても崇められていた。

学者ではない素人の私見だが、この地形を鑑みるに、海神を祀るのは自然の成り行きのような気がした。

何より、開聞岳は異様なまでに美しい。薩摩富士の別名で呼ばれているそうだが、円錐形の山容こそ富士山と似ているものの、裾野がよりなだらかで鮮やかな緑にくまなく山肌が染まっているせいか、さらに優美だ。

南の山裾が海に今しも没しそうな山容は、裳裾を引いて海原から陸に揚がってきた姫君とも、逆にこれから海神のもとへ静々と帰る姿とも見え、イマジネーションを掻きたてられる。

山麓には遺跡があり、1200年前の噴火によって被災した痕跡も認められるという。一方の裾野には九州最大の湖・池田湖が澄んだ水を湛え、ここはかつて噴火口だったことが明らかになっている他、ネス湖の未確認生物・ネッシーならぬイッシーが棲息するという噂がある。この一帯は、古代には隼人族のテリトリーでもあった。

水と火と人の営みについて、さまざまな角度から思いを巡らせるのに、もってこいの土地なのである。
海と陸の境界は、彼岸と此岸の境に喩えられ、そこにある暗い隧道は、あたかも黄泉平坂……という日本人的な連想が生じるのは想像に難くないのではないか、とも思う。そんな潜在意識の働きが自死を望む者たちを惹きつけるのかどうか。隧道周辺の森では時折、自殺者の遺体が見つかるのだという。

脂汗を流して「帰ろう!」という友人

さて、山下真弓さんと前田知子さんに話を戻す。
――およそ20年前の5月某日、2人は午前1時半過ぎに知子さんが運転する車で出発し、途中で道順を確認したりトイレ休憩を取ったりしつつ指宿市の市街地を経由して、約1時間半後、開聞トンネルに到着した。

トンネルの東側から南側の《御倉本1号トンネル》にアプローチしたわけだが、この隧道入口の周辺は雑木林で昼でも薄暗い。夜ともなれば真っ暗だ。ヘッドライトが隧道を照らし出すと、知子さんは徐々に速度を落としながら近づき、入口の前で車を停めた。

「なんで停めっと? こんまま入って行こうや」
「やっぱりやめよう。これ以上近づかん方がよかじゃ」

真弓さんは、どうしても心霊スポットを体感したかった。最初から気が進まない知子さんと、ここへ来て再びちょっと揉めてしまった。

「わかった。じゃあ知子はここで待っちょってよかじゃ。歩いて見てくっで! 今、午前3時ちょうどやなあ。10分で戻っじゃ」
「ダメってば! ちょっと、真弓!」

助手席から降りた真弓さんを追いかけて、知子さんもエンジンを止めて車から外に出た。

月の無い晩で、真弓さんが持参した懐中電灯の明かりが頼り。普通、車道にある隧道は出入口付近や内部に照明が取り付けられているものだが、ここはどういうわけか内にも外にも明かりが無い。
隧道内の暗闇がうっすら濁って見えるのは、奥の方に1つぐらい電気が点いているのか、それとも霧が発生しているのか……。

「真弓、怖いで帰ろう! 私は少し霊感があっど。ここへおっと良うなかこつが起こっ気がすっで」
「霊感なら私だって! うちにも5歳くれんおなごん子がおっど、私にしか見えんどん」

それはきっと座敷童で幽霊ではないのでは、と、私ならツッコミを入れるところだが、知子さんは、とにかく、「怖い」「帰ろう」と粘り強く繰り返した。
真っ青になり、脂汗を流して、肘を引っ張りながら、である。只事ならない親友のようすを見て、ついに真弓さんは折れた。

「もう、わかったよ! しょうがなかねぇ……。まあ、でも、開聞トンネルの実物を見たで気が済んだ。うん、帰ろう。指宿に24時間のファミレスがあったような気がする。眠気ざましにコーヒー飲もっか?」
「そうしよう。そん後、家まで送るよ。あきらめてくれて、あいがとね」

2人とも車に乗り込むと、知子さんはハンドルを切り返して、今来た道を引き返しはじめた。

……というわけで、2人は怪異に遭わなかった。しかし、このとき別の場所でこんなことが起きていたのである。

午前3時にかかってきた電話

真弓さんと知子さんが開聞トンネルに到着した午前3時、真弓さんの家・山下家の固定電話が鳴り、夜のしじまを打ち破った。
真弓さんの家族はとうに眠りに就いていたが、いつも眠りが浅い母の美智子さんはすぐに目を覚ました。

時刻は午前3時ちょうど。美智子さんは、真弓さんが電話をかけてきたのだと咄嗟に思った。娘が親友と深夜のドライブに出掛けたことは知っていて、目的地も聞いていた。何かトラブルに巻き込まれたのじゃなければいいが……と、胸騒ぎを覚えながら、急いで受話器を取って「はい」と応えた。
すると、「もしもし」と自分の娘ではない若い女性の声が。

「あら? 知子ちゃん?」

聞き覚えがあったのだ。これは、娘がここ何年か最も親しく付き合っている女の子、前田知子ちゃんの声だ。
娘としょっちゅう一緒に遊んでいて、うちに泊まりがけで遊びに来たこともいちどならずある。頭の良さそうな、しっかりしたお嬢さんだ。

「はい、そうです。知子です。あのぉ……真弓ちゃんはいますかぁ?」

美智子さんは一瞬、キョトンとした。「えっ?」と頭がこんがらがりそうになりながら訊き返す。

「えっ? 真弓はあんたと一緒におるんやろ?」

――もしも真弓が私に嘘をついて知子ちゃんではない別の人と出掛けたなら、そしてそれが危険な輩だったら、どうしよう!
たちまち心臓が激しく暴れ出し、受話器を掴んだ掌が汗で滑った。
それなのに美智子さんの気も知らず、知子ちゃんときたら妙にのんびりした声で返事をするのだ。

「いいえぇ~」
「い、一緒じゃなかと? 真弓は知子ちゃんの車で出掛けっちゅってうちを出たんじゃ! どけおっか知らん? 何か聞いちょらん?」
「いいえぇ~。真弓ちゃんはいますかぁ?」
「ないゆぅちょっと? じゃっで真弓は、知子ちゃん、あんたと遊びに……」
「真弓ちゃんはいますかぁ?」
「!?」
「真弓ちゃんはいますかぁ?」

――美智子さんはうなじの毛がチリチリと逆立つのを感じた。異常だ。知子ちゃんの声に違いないと思うのだが、台本のセリフを棒読みするような平坦な口調に強い違和感がある。
なんだか、魂が抜けたみたいな声なのだ。

「真弓ちゃんはいますかぁ?」
「あんた、ほんのこて知子ちゃんなんよね!?」
「真弓ちゃんはいますかぁ?」
「……」
「真弓ちゃんはいますかぁ? 真弓ちゃんはいますかぁ? 真弓ちゃんはいますかぁ? 真弓ちゃんはいますかぁ? 真弓ちゃんはいますかぁ? 真弓ちゃんはいますかぁ? 真弓ちゃんはいますかぁ? 真弓ちゃんはいますかぁ? 真弓ちゃんはいますかぁ? 真弓ちゃんはいますかぁ? 真弓ちゃんはいますかぁ? 真弓ちゃんはいますかぁ? 真弓ちゃんはいますかぁ? 真弓ちゃんはいま……」
「もうやめて!」

耐え難くなって叫ぶと、美智子さんは衝動的に受話器を置こうとした。手が震えていてなかなかうまくいかない。その間も通話口から、「真弓ちゃんはいますかぁ」と一本調子な声が漏れてきていた。

山下家の家風が、流行に敏感で新し物好きだったなら、このとき美智子さんは通話相手の電話番号などの情報を、電話機の液晶画面で確認できていただろう。
NTTがデジタル方式のナンバー・ディスプレイの提供を開始したのは1998年2月のことだった。この頃は電話番号や電話機に登録した通話相手の名前などを映す液晶画面が付いたデジタル方式家庭用電話機は普及前の過渡期。真弓さんが携帯電話を持っていなかったことからもわかるように、山下家は時代の先端を行くことにあまり関心がなく、従って固定電話も旧式のアナログ方式家庭用ファクス電話機をまだ使っていた。

美智子さんは、電話を切ってしまってから、あれは知子さんではなかったかもしれないと考えた。
前田家に電話をして知子さんが帰宅しているかどうか確かめてみたくもあったが、もしも悪戯電話だった場合、とんでもない時刻に電話を鳴らして迷惑をかけることになる。
あと3時間足らずで6時だ。早朝電話をするのも非常識だが、午前3時過ぎよりかは、だいぶマシである。美智子さんは激しく逡巡した挙句、結局、朝まで何もせず、娘の無事を祈りながら待つことにしたのだった。

帰ったはずの友人の安否は……?

一方、その頃、真弓さんと知子さんは、途中、終夜営業のファミリーレストランで休憩しながらのんびり帰る途中だった。

走っている最中に夜が明けてきて、真弓さんを家の前で車から降ろしたときには朝の6時近くになっていた。真弓さんは家の門の前から、車で走り去っていく友人を見送った。それから眠い目をこすりこすり、鍵を開けて玄関に入ると、上がり框に血相を変えた母親が立っていたので驚いた。

「お母さん! どげんしたん? 凄か顔して!」
「あんた、今、車で送ってきたんな、だい(誰)と? ほんのこて知子ちゃんと?」
「……何よ? 変な疑いかけんでな! 知子に決まっちょっじゃなか!」

そこで美智子さんは奇妙な電話が掛かってきたことを真弓さんに話した。

「知子ちゃんの声じゃて思うたし、『はい、そうです。知子です』ちゆぅたんよ? じゃっどん、壊れたレコードんごつないべんも『真弓さんはいますかぁ?』って、感情がなかような不気味な声で繰り返し繰り返し……。おお、怖っ!」
「知子は途中どこにも電話なんか、かけちょらんじゃった。あん子も携帯電話を持っちょらんし。私が見ちょらん隙に電話すっチャンスがあったんな、4時頃かな? ファミレスに入って、交代でトイレに行ったで」
「ううん。電話があったんな午前3時ちょうどじゃ。時計を見たで確かやわ」
「午前3時ちょうど?」

――それは開聞トンネルの入口前で車から降りた時刻である。

真弓さんが青くなってそう言うと美智子さんはキャーと悲鳴をあげ、それから震えあがりつつ興奮して、電話の声を真似てみせたので、親子でキャーキャーとひとしきり騒ぐことになった。

しかし、やがてどちらからともなく知子さんのことを思い出した。

「もう家に着いてるよね?」
「電話してみやんせ!」

知子さんは、眠たそうな声で電話に出た。
そして真弓さんから話を聞いて、こう言った。

「ゆうたやろう? 近づかん方がよかって」

(川奈まり子の奇譚蒐集・連載【二四】)