令和になって振り返る昭和の女性蔑視 多くの人が「女の腐ったの」と口にしていた時代|中川淳一郎

しかしながら、女性蔑視というものには身近に接していた自分もいる。私の母親は福岡県北九州市出身なのだが、その実家(つまり祖母の家)に行くと叔父一家も住んでいる。叔父は一切の家事をしないで、家事は祖母と叔母がやっていた。母は東京で大学に行き、「ウーマンリブ」に触れた世代のため、男女同権の考えを持っていたが、九州の実家はまったく異なった。

母は、私に食後は食器を流しまで運ぶように教育をしていた。だからそうしていたのだが、同様のことを九州の実家でやると祖母からは怒られた。

「アンタみたいな男はそげんことせんでよかト! そげんこったぁヨメジョかオナゴがやるもんタイ!」

この家には祖父母と叔父夫婦、そして姉妹のいとこが住んでいた。ちなみに姉もいる私がその家では唯一の男の孫だった。だからこそ、私を大事にしようとする空気感があったのだ。「ヨメジョ」とは「嫁女」のことで、「オナゴ」とは「女子」のことだろう。

この家の序列を考えるとこのような感じだったと思われる。ちなみに私の父は「家」には含まれず、あくまでも他人行儀である。

祖父

叔父(年下の長男)

私(唯一の男の孫)

祖母

母(年上の長女)

私の姉

叔父の長女(私のいとこ)

叔父の次女(私のいとこ)

叔母

いとこの二人の女の子は、叔父の血を継いでいるだけに上で、「ヨメジョ」である叔母はその下なのではなかろうか。

実際に「男子厨房に入らず」はあったし、「九州は女性の立場が低い」は小学生ながら当時の昭和の私も感じていた。(文◎中川淳一郎 連載『俺の昭和史』)