【未解決事件 File.1】 池袋駅立教大学生殴打殺人事件2【消えた殺人者たち】
※前回までの記事
http://tablo.jp/case/news002824.html
1998年立教大生小林悟さんが午後11時、帰宅ラッシュの衆人監視の中、池袋駅構内でもめごとに遭いサラリーマン風の男に殴られ、亡き人になりました。事件を忘れてはならない為、筆者はその当時の池袋駅から犯人の逃亡ルートを探ぐる事にしました(編集部)
犯人は殴り倒した被害者を放置、乗車し席に座った
山手線というと、ある程度規則正しく等間隔の時間帯で運行していると思っている方が多いのではないだろうか。
しかし、実際はかなり運転間隔にばらつきがある。夜10時半から11時半までの間に、1分間隔で3本の電車が相次いで入線したかと思うと、その後は7、8分電車の入線がなく、その直後は再び1,2分間隔で連続して入線という状況なのだ。
電車が連続して入線している最中は、電車に乗り降りする客はまばらになる。しかし、7,8分の間隔が空いた後に入線した電車はかなり混んでおり、乗降にも時間がかかっていた。
その結果、夜の池袋駅のホームで山手線のドアが開いてから閉まるまでの時間は、長いときで約6、70秒、短いときで40秒ほどかかる事になる。
この時間は重要に思えた。なぜなら、悟さんとSが出会って、トラブルが生じやがて殴打、悟さんの転倒、そしてSの逃走までの一連の悲劇がこのわずかな時間の間に「完結」したことになるからだ。
「池袋駅は乗降客が多いので、停車時間が他の駅より長いのですよ。だから、犯人は電車に飛び乗って逃げる余裕が生じてしまったのかもしれません」(前出・池袋署副署長)。
午後11時29分59秒。池袋駅に着いた山手線のドアは開いた。前の電車と8分あまり間隔が空いたので、ホームで待つ人の列はホームの端まで届きそうなくらいであった。さらに、入線した電車の車両はほぼぎゅうぎゅう詰めの状態。ドアが開いた瞬間に、その約7割の乗客がホームに吐き出されてきた。
一方、長時間の寒空での待ち時間に耐えられなくなった乗客が、空いた座席に座ろうとまだ降り終えていないのに、あせって乗り込もうともがいていた。もしかしたら、事件の当日もこんな状態だったのだろうか。ならば、乗り降りの際に身体が接触して、容易にトラブルに発展したのもうなずける。どちらかがいらついていたりしたら、簡単に口論になるはずだ。
事実、僕が10時半から11時半までホームで待っている間も、ちょっとした接触で「注意しろよ!」とぼやく誰かの声が2、3回は聞こえた。
車両のドアが閉まったのは31分5秒のこと。停車時間は66秒の長さだった。早く乗り込めた乗客は座れたが、池袋駅で乗り込んだ乗客の6割以上は座れなかった。
「逃亡した犯人は、電車の中で座っていました」(前出・池袋署副署長)。
転倒してけいれんを引き起こした悟さんを放置して車両に乗り込み、座っていたのだからSは相当ふてぶてしいようだ。やばいと思っていたのだろうか、それとも自分がまさか人を死なせてしまったことなど、夢にも思わないでいたのだろうか。
この時に、池袋駅から一緒に電車に乗り込んだ男性の乗客の一人が、座席でふんぞり返るSに対し、「それはまずいんじゃないか」と注意したという。しかしSは逆に開き直って、「なんだこの野郎」とすごんで、注意した男性に詰め寄る構えを見せた。
それを見た男性は、ついにSの勢いに気圧されて言葉を失い、隣の車両に逃げていってしまった。この顛末は、ほぼ満員の周りにいた乗客の大勢が目撃していたはずだ。
しかし、その中で警察まで名乗り出たのはほんの数人のみ。注意した男性も、名乗り出てこなかったらしい……。
犯人の似顔絵(警視庁ホームページより)
どこで乗り換えたのか、犯人は「日暮里駅」まで乗っていた
面倒なことに関わり合う事を必要以上に恐れる都会の住民の悲しい性が、事件のあちこちにトゲのように散在していた。
僕の乗った電車は静かに大塚駅へ滑り込んだ。ここでの停車時間はわずか18秒のみ。ちなみにその後の巣鴨駅でも18秒。駒込駅では19秒、京浜東北線への乗り換え駅の田端駅でさえ、わずか21秒の停車時間だった。
やはり池袋駅の停車時間の長さは際立っていた。もし、池袋駅以外の普通の山手線だったら、はたして悟さんの事件はどういう展開をしたのだろう。少なくとも容易に犯人は電車に飛び乗って逃げる暇はなかっただろうし、ひょっとしたら事件自体、発生しなかったのではないだろうか。悟さんの命も……。思いにふける僕を乗せて、電車は田端駅をすぎて西日暮里駅へ入ろうとしていた。
西日暮里駅は、悟さんが乗り換えるはずの駅だった。ここで降りた悟さんは、営団千代田線に乗り換えて北千住駅まで行き、そこでさらに東武伊勢崎線に乗り換えて、自宅のある春日部方面に向かう事になっていた。
しかし、Sは西日暮里駅では降りなかった。そして日暮里駅。ここは、常磐線や京成線への乗り換え駅である。乗客がいっせいに日暮里駅で降りた。おそらく、池袋駅から乗ってはた95%はこの駅までで降りたのではないだろうか。車両の中は一気にガラガラにすき、余裕で座る事ができた。
Sの最後の目撃者もここで降りたという。その目撃者が降りるときは、Sはまだ座席に座っていた。そこから、Sはこのまま電車に乗り続けたのではないか、という推測が成り立つ。しかし、本当にこの先も乗り続けたのかどうか、証拠はない。もしかしたら、ドアが閉まる直前にあわてて降りた可能性もなくはない。
どうやら池袋駅から同じ車両に乗ったお婆さんが一人、Sと一緒に乗り続けていたらしい。そのお婆さんさえ見つかれば、Sの「その後」も、もっとはっきりとわかるのかも知れない。
とりあえず、僕はこのまま電車に乗り続けてみることにした。次の鶯谷駅では、ほとんど降りる人はいなかった。わずかに隣の車両から中年のカップルが降りて、ラブホテル街の方に足を向けただけだった。Sもここでは降りなかっただろう。
この先は、上野駅、御徒町駅、秋葉原駅と続く。しかし、秋葉原駅より先にSは行かなかったのではないだろうか。池袋駅からは丸ノ内線や有楽町線も出ており、それぞれ山手線外回りの電車より早く到着するからだ。
山手線路線図。このどこかで犯人は降りているのだが…
池袋、山手線沿線に縁の薄い人物か
ここで池袋警察署が数年にわたって池袋駅を中心に山手線外回りなど放射状に強力な捜査を続けながら、Sの有力な手がかりをつかめなかったことに注目してみたい。ひょっとしたらSは池袋駅や山手線沿線とはもともとあまり関係ない人物なのではないだろうか。だから捜査の網にかかりにくかったのでは。
池袋駅を日常利用していれば事件直後は、テレビなどにも大々的に取り上げられた事件だけに、何らかの証言や手がかりが警察の元に入ってきて、事件はとっくに解決していることだろう。しかし、いまだに行方が分からないということは、おそらくSは池袋駅や山手線周辺とはあまり関係がない人物だったのではないだろうか。
しかも、一見粗暴そうなのに、その後ケンカなどをして警察に捕まったりした気配はなかった。さすがにそうなれば、手配書が出回っているだけに警察もほおっておくはずがないからだ。
だからSは池袋駅及び、山手線とはふだんあまり関係ない人物で、しかもその後はケンカなどのトラブルは起こさず、ある程度冷静にどこかに潜む人物。そんな「憶測」を仮にしてみることにした。
しかし、当日は池袋駅にいたのはまぎれもない事実なわけで、都内とまるっきり縁がない人物でもなさそうだ。だから、東京の外に住み、東京の東部方面などに通勤しているとする。それなら、山手線の西北で起きた今回の事件の関係地にそれほど接触する必要はない。
となると、上野駅で降りて、東京メトロ(当時・営団)日比谷線に乗り換えてそのまま乗り入れている東武伊勢崎線沿いに行く。あるいは秋葉原駅で降りて、千葉方面へ帰る。ひょっとしたらSは上野かどこかで降りて、常磐線に乗った可能性もなくはないし、銀座線に乗って浅草方面にという可能性も当然ある。無数の可能性の中、とりあえず僕は上野乗り換えの東武伊勢崎線・埼玉方面か秋葉原駅乗り換えの総武線・千葉方面のどちらか2つに的を絞ることにした。
そして、上野駅に着いたとき、つい降りてしまったのである。上野駅で降りた瞬間に気づいたことなのであるが、池袋駅で飛び乗った車両は、日比谷線への乗り換えにかなり不便な位置にあった。ホームを先頭の方まで歩かないと、乗り換えに近い改札口には行けないし、しかもそこからさらにかなりの距離を歩かないと、日比谷線のホームに行きつかないからだ。ゆうに、ホームからホームへ移動するだけで7,8分以上かかった。
犯人が日比谷線から東武線までの定期券(※当時はSuicaはなかった)を持っているのならともかく、そうでない限りはこのルートをたどる事はないのではないだろうか。それならまだ秋葉原駅から千葉駅へ向かう方が可能性がありそうである。
だが、日比谷線という線も可能性がまったくないわけではない。とりあえず僕は、日比谷線に乗り換えて、さらにその先の東武線へ。埼玉の奥の方を目指して進んだ。
電車はかなり混んでおり、途中まで通勤ラッシュ並みの混みようが続いた。午前1時過ぎ。気づいてみると、終電の一本手前の電車で春日部駅に着いていた。奇しくも悟さんの自宅のある市である。
しかし、二人が同じ経路をよもやたどろうとしていたなどとは、あまり考えたくはなかった……。
文◎石川清