『首都圏連続女性殺人事件』で冤罪となった小野悦男 しかし自宅の裏庭から女性の首が発見される|八木澤高明
女性の首が見つかった現場付近(筆者撮影)
「俺も土いじりが好きでさぁ、庭に畑をつくってんだぁ」
東京都足立区にある都営栗原団地に住む主婦、相沢広子がアジサイの剪定をしていると、背後から朴訥な口調で話しかけてくる者がいた。振り返ってみると、人懐っこい笑顔を浮かべた中年の男が立っていた。
その男が首都圏連続女性殺人事件で逮捕されたものの、無罪となり冤罪のヒーローとして世間で騒がれていた小野悦男であると知るのに時間はかからなかった。
1968年から1974年にかけて、東京、千葉、埼玉で、11人の女性がレイプ後に殺害されるという事件が相次いで起きていた。その容疑者として逮捕されたのが小野悦男だったのである。
茨城県行方市出身の小野は、少年時代から盗みを繰り返し、中学を満足に卒業することなく、少年院に入るなど、素行の悪さが地元でも有名であった。故郷を離れた小野は、都内に暮らす親族の家などを転々としながら、建設現場などで働き、相変わらず窃盗や詐欺、暴行などの犯罪を繰り返し、逮捕された時点で前科八犯であった。
逮捕後の取り調べの中で、ひと度小野は自白したが、一転して無実を訴えると、文化人や弁護士によって「小野悦男さん救援会」が結成され、世間の耳目を集めた。1986年の一審では無期懲役が言い渡されたが、1991年の二審で無罪を勝ち取ったのだった。
司法が見抜けなかった小野の本性
昨今の足利事件や東電OL殺人事件など、冤罪事件の走りとも言えるが、決定的に違うのは、小野が過去にも犯罪を繰り返し、まともな市民とは言い難い点にあった。
16年ぶりに自由の身となった小野は、栗原団地に母親と二人で住み始めたのだった。
94年12月、朝日新聞が横浜の工事現場で働き、日当から6千円を貯金にまわし、慎ましやかに母親と暮らしているという小野の姿を記事にしている。記事の中で笑顔を浮かべる小野。その心の内は何を考えていたのだろうか。
1996年1月、小野が暮していた団地からほど近い足立区東六月町の駐車場で、首無しの女性の焼死体が発見される。
発生当初から、警察は小野を疑った。ただ物証を得てから逮捕に踏み切らないと、前回と同じ轍を踏むことになる。内偵を進めて行くうちに、小野が自宅近くの公園で幼女暴行事件を起こした。逮捕後小野のDNA鑑定をしたところ、焼死体から発見されたDNA型と一致し、女性殺害を認めたのだった。小野が暮らしていた部屋の裏庭から、女性の首が発見され。小野は冤罪のヒーローから人殺しへと転落したのだった。相沢が逮捕当時の様子を振り返る。
「首無しの死体が発見された時、聞いたのよ。アンタじゃないのって? そうしたら、笑って何も言わなかったけどね。だけどあの事件の事はよく覚えているわよ。小野さんの裏庭のところで、警察犬がワンワン鳴いて、すごいウルサくて、全然動こうとしないのよ」
未解決のまま時効となってしまった首都圏連続女性殺人事件、被害者たちの魂が浮かばれる日はくるのだろうか。(取材・文◎八木澤高明 『昭和の殺人犯たち』)