殺陣師・アクション監督 硬骨の人・高瀬将嗣監督逝く けれん味のないビッとした人でした |久田将義

4月6日までDMでやり取りをしていました。それ以前も監督から色々な俳優についてのDMがあり(私信なので公表は控えますが)、国士舘大学卒業とイメージ的に“いかつい”ですが、ユーモアのセンスが抜群にある人でした。

高瀬監督は殺陣師波濤流を設立し、映画『ビーバップハイスクール』『あぶない刑事』『ラストサムライム』などのアクション監督を担当。親子二代にわたって、アクション・殺陣に情熱を捧げてきました。享年63歳。

国士舘大学高校、国士舘大学卒業。その頃は朝鮮高校との喧嘩が新聞沙汰にまでなり、一番抗争が激しい時代に高瀬監督は青春時代を過ごされました。

 

参考記事:能町みね子×吉田豪 対談『ヘイトとフェイクニュース』を語る|最終回 「なぜヘイトは無くならないのか」 | TABLO

 

高瀬監督との出会い20年以上前。僕はワニマガジン社に勤務にしていた頃です。下っ端編集部員として一人でワンテーマムックを編集していました。「アウトロー伝説」というタイトルのムックを制作する際、社会運動家・一水会木村三浩代表(国士館高校)から一年先輩で「面白い文章を書く人がいる」と言うことで紹介して頂きました。

原稿を頂いた時の事は忘れません。府中にある高瀬監督の道場に原稿を取りに行きました。高瀬監督は手書きでした。いったん、受け取って府中駅前の喫茶店で原稿を読んでみました。それが面白いの何のって。

当時の国士館高校・大学のイケイケぶりを殺伐としてではなく、時折、絶妙なペートスを混ぜた文章でした。読みながら笑いがこみあげてきました。国士館生のイケイケとおっちょこちょいぶりとを微妙に混在させた文章でした。僕は感激のあまりその場から電話をかけて、「本当に面白いです!」と素直なに感想を伝えました。

その後、ミリオン出版に移籍した後、高瀬監督には「ダークサイドJAPAN」と言う雑誌で「国士館のバンカラ伝説」を主旨に連載していただきました。