前科のある人間がいかに就職でまた躓(つまづ)いてしまうのか……この社会に頼れるものは無い…

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履歴書に嘘を記載……

前科があるせいでなかなか仕事を見つけられずにいた加藤太郎(仮名)がようやく見つけた仕事は短距離の配送の仕事だった。この会社の社長は採用の際に加藤に、

「ちゃんと頑張れば前科なんて関係ないから」
「本社には黙っておくから。履歴書にも前科のことは書かなくていい」

そう声をかけてくれた。
仕事で使う車は本社からレンタルすることもできるがレンタル料がかかってしまう。加藤はレンタル料を抑えるために、元妻にお金を借りて車を購入した。借りたお金を早く返したい。そう思った加藤は1日平均で18時間から20時間は働いていたという。それだけ無理をして働いたのにはもう1つ理由があった。

「今までの自分を変えたかった」

こうして新しい職場で懸命に働いた加藤だったが給料は1円も支払われなかった。本社に前科があることを隠していたのがバレたからだ。

「履歴書に嘘を記載した人間に給料は払えない」

というのが本社の言い分だった。
加藤は本社と交渉しながら3ヶ月間働いたが結局給料が支払われることはなかった。

「何のために働いているのか、わからなくなった」

加藤にとって、このような経験は初めてではなかった。何度も何度も同じような目にあってきた。彼ははだんだんこう思うようになった。

「もう…死ぬしかない」

実際に加藤が自殺を試みようとしたちょうどその時だ。加藤の携帯電話に息子からの着信があった。
「ご飯、まだなんだけど」
外に出ていた加藤は家に帰って息子の食事の支度をした。
まだ、死ねない。死ぬわけにはいかない。
だがもう心も体はとうに限界だった。思いつく選択肢は1つしかなかった。

「しんどくて仕方なかった。しんどくても、仕事しないといけないからやった。使うと、体がすっと軽くなる」

加藤は再び覚醒剤に手を出した。

子供も大きくなるから、頑張らないと

彼はには前科が2つあった。いずれも覚醒剤取締法違反だ。16~17歳のころから大麻や覚醒剤を使用していたらしい。裁判当時の加藤の年齢が35歳だったので使用歴は20年近い。

初犯の時は執行猶予がついたものの2回目では懲役1年4ヶ月の実刑判決を受けて服役をしている。出所後すぐに、服役前まで一緒に生活していた元妻と子供の元を離れ薬物依存症からの回復をサポートする団体『ダルク』の千葉支部に通い始めた。

しかしダルクは合わなかった。加藤の供述によると
「ダルクの職員が覚醒剤をやっていた」
「ダルクに通っている人のなかにも覚醒剤をやってる人がいた」
らしい。この状況を千葉ダルクの職員は
「自分らは依存症っていう病気なんだから仕方ないよ」
というような軽い感覚でとらえていた。
服役を経て本気でクスリをやめたいと願っていた感情にはとても受け入れられない環境だった。
そんな折、子供が登校拒否をし始めたこともあって加藤はダルクに通うことをやめて元妻と子供の住む家に戻って仕事を探し始めることにした。

前科を持つ加藤の就職活動は厳しいものだった。何度も面接に出掛けたが男を採用してくれる会社はなかった。前科を隠して面接に臨んで採用されたことも何度かあったが、どこでも結局は前科がバレて解雇された。
鬱状態になって2か月ほど家に引きこもったこともあったが、加藤は必死に自分に言い聞かせて仕事探しを再開した。

「動かなきゃしょうがない。ここで終わっていいのか?子供も大きくなるから、頑張らないと」

そうして無理に立ち上がった加藤が巡りあったのが、冒頭で記した配送会社だった。

「クスリは一生つきまとう、と思う」

加藤はそう法廷で話していた。真剣に自分を変えたいと願い、真剣に家族のために頑張っていた。だが、社会は加藤を拒絶した。加藤を受け入れてくれる場所はこの社会のどこにもなかった。クスリしか頼れるものはなかった。

これから先も加藤は前科と依存症という業を背負って、自分の居場所を求めて彷徨いながらこの社会を生きていく。何処かに加藤の居場所があるのかどうか、それはわからない。

取材・文◎鈴木孔明