元祖・都市伝説の女…あの「口裂き女」と連続殺人事件の奇妙な符号
「口裂け女」といえば、日本における都市伝説の代表格だ。
1979年の流行当時は、全国の小中学生を恐怖のどん底に落とし、パトカーが出動するなどの社会問題にまで発展した。長年に渡って日本中を震え上がらせていたと思われがちな口裂け女だが、本格的に流行った期間は半年ほどと意外に短い。’79年のうちには、ただの噂だという認識も共有され、騒ぎは沈静化していった。
さすが都市伝説の元祖といおうか、噂のバリエーションが非常に多いのも特徴だった。「ポマードに弱い」「べっこう飴を与えれば逃げられる」「実は三姉妹だ」など、さまざまな要素が彼女の周りに付け足されていく。呪物対抗や”3”というマジックナンバーは、昔話や神話でもお馴染みで、文化人類学、民族学的にみれば特に珍しいものではない。ただ、「口裂け女現象」が終息した後に加わったある要素は、一風変わっていた。
「口裂け女は、真っ赤なスポーツカーに乗ってやってくる」
なんだか、これだけ奇妙なディテールではないだろうか?
折りしもスーパーカーブームの直後とはいえ、化け物である口裂け女が、なぜそんな”ナウい”いでたちで現れなくてはならないのだろうか。これは1980年の2~3月に発生した、ある殺人事件の影響ではないのか? というのが、僕の考察だ。
1980年2月23日、富山県内で、帰宅中の女子高生(当時18)が誘拐される。その後、女子高生は睡眠薬によって昏睡したところを絞殺され、雑木林に遺棄された。
同年3月5日、長野県で信用金庫職員女性(当時20)が行方不明になる。自宅に女性の声で身代金3000万円を要求する電話があったが、犯人は受け取り場所に現れなかった。この女性も絞殺され、遺体は長野県内の山中で発見された。どちらの女性の遺体にも、絞殺した紐が花結びにされ巻き付いていたという。わざわざ祝い事の熨斗などに使う花結びを施すところに、犯人の狂気がうかがえる。
そしてどちらの犯行現場でも、「赤いフェアレディZ」に乗り、サングラスをかけた若い女が目撃されていた。
この「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の意外な犯人が逮捕された時、世間は騒然となった。捕まったのは、宮崎知子。ギフト店「北陸企画」を経営する34歳の女だった。こんな凄惨な誘拐殺人事件を、妙齢の女社長が行うなど、当時では非常にセンセーショナルな出来事だったのだ。
実際、警察は、宮崎の恋人を主犯であると断定。物証もないまま、犯行について無関係の彼を主犯として起訴してしまう。だが結局、逮捕から8年後の1988年の第一審判決にて、この構図はひっくり返される。恋人の男性は無罪、そして単独犯とみなされた宮崎知子には死刑が言い渡された。
被害女性二人の誘拐を容易にしたのは、当時のファッションアイテムである「赤いフェアレディZ」だっただろう。さっそうとスポーツカーを乗りこなす若い女社長、というイメージから誘拐犯を連想するのは、この時代においては無理な話だった。
また、それだけに、宮崎逮捕が与えた衝撃は大きかっただろう。金欲しさから若い女性を誘拐しあっけなく殺す陰惨さ、恋人を主犯にして罪を軽くしようとした毒婦ぶりもあいまって、「赤いスポーツカーに乗る女」は恐怖のイメージと結びついた。これが人々の深層心理の中で、化け物としての口裂け女を宮崎と同一視させたのではないか。
口裂け女の乗る車は、セリカともフェラーリとも言われ、どの車体も真っ赤であることは共通している。その根っこには、宮崎の乗る赤いフェアレディZがあったのかもしれない。
宮崎知子死刑囚は、現在も名古屋拘置所に拘置されている。判決を不服として二度の再審請求を出しており、死刑執行はいまだ行われていない。しかし今年2013年2月に、富山地裁によって二度目の請求も棄却されている。
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Written by 吉田悠軌
Photo by Tiago ∙ Ribeiro
おびえながら下校した記憶があります