絵本作家のぶみさんが池袋連合200人の総長だった件|文◎久田将義
のぶみさん、そこは余り重要でないので、意地を張らず「嘘でしたー」で良いんですよ。今、炎上しているのは貴方の歌詞の内容ですから。でも僕は、経歴でギミックならともかく嘘を入れてくる人は信用していません。お天道様の下を歩くのが恥ずかしくなりませんか。ベストセラー作家の肩書で十分ではありませんか。池袋連合というギミックは不要なのです。
のぶみさんは1978年生まれ。アラフォーです。彼が少年のころは東京が荒れていた時期で、そのころに「池袋連合」の総長かリーダをしていたと自称しています。
これなどは改めて取材などをせずとも、この手の題材を得意としている例えば、「チャンプロード」のライターや編集者なら容易に正誤の判断がつくでしょう。僕も末席ながら、「実話ナックルズ」で月刊創刊から編集長をつとめていたので取材体験から分析します。
こういうのは、ヤンキー界の重鎮・岩橋健一郎氏がお詳しいのですがツイッターで僕宛てのリプライで「私も勉強不足で池袋連合は知りません(笑)」とありました。岩橋さんがご存知ないとするとやっかいです。
●あったという仮説を立ててみる
のぶみさんの不良の現役時代は渋谷では関東連合がのしてきていましたかね。そして巨大チーマーと言えばTOP-Jでしょう。200人いたとも言われています。また千葉・津田沼にはKGBがいました。KGBも200人以上と言われています。TOP-JとKGBは友好関係にありましたので抗争はないはずです。
新宿の関東連合はメデューサがいました。ですから、池袋に攻めようと思えば新宿からも渋谷からも、つまり地理的にも攻め込められる状態にあったのです。
で、池袋の状態を見てみましょう。池袋の街そのものを中心に活動していたのはワード、ブロストといったチームで暴走族はいなかったように思います。というのは暴走できるスペースがないから。
西武線沿線では中井、東長崎スペクターといった暴走族。東武線沿線には金鹿(みなごろし・造字出来ず)があり、下赤塚金鹿などの武闘派チームが川越街道などを流していました。