掟破りのマスコミ圧力にエラソーな態度…無名時代の猪瀬直樹と距離を置いたワケ by岡留安則

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猪瀬直樹氏が引責辞任で東京都知事を辞任した。一時は、ノラリクラリと年明けまで都知事のイスに居座るのではないかと見る向きもあったが、さすがにこの間の都議会での執拗な追及に観念したのだろう。

まして、偽証罪に問われる可能性が強い「百条委員会」に持ち込まれれば、これまでのような曖昧な答弁は許されない。

おまけに、猪瀬氏を後継指名した石原慎太郎前都知事に「引導」を渡されたこともあって、それが決定打になったのだろう。都議会もメディアも猪瀬辞任で歩調を合わせていたこともあって、傲慢な猪瀬氏も心身ともに疲れきっていたはずだ。

IOC総会で東京オリンピックの誘致を勝ち取った頃のハイテンションぶりは姿を消して、声にも表情にも意気消沈した様子が滲み出ていた。大宅賞作家から、小泉純一郎元総理や石原慎太郎前都知事に引き立てられて、上昇志向の夢を実現させてきたが、都知事就任から一年後の挫折となった。前回の都知事選で国内最多の433万票を獲得した人物と同一人物とは思えない末期だった。

初当選時の東京都庁では大歓迎されたが、退庁時は一切のセレモニーにはなく、退職金一千万円はもらったものの、寂しき引退だった。

副知事、都知事在職時代に受け取った報酬は2億2千万円と推定されている。大宅賞作家としての栄誉は失ったが、猪瀬本人が自ら選んだ途である。心残りはあるにせよ、それなりに満足した人生だったのではないか。

問題は今後の猪瀬自身の人生だ。作家としては致命的なスキャンダルを抱えた以上、これまでのような稼ぎは期待できないだろう。麻布にある数億円の三階建ての豪華事務所を維持するだけでも大変だろう。

かつてのように、CM出演によって大金を得る途も閉ざされた。後は、事務所を撤退し、自宅で細々と物書きとして生活するしかないのではないか。都知事としての実績は消え去ったが、都知事時代の舞台裏の知られざる話に関しては、知りたいと思う読者もいるだろうから、それは売りになるかもしれない。もっとも、猪瀬氏の徳洲会5千万円借用問題は、未解明なままで、今後、地検特捜部の捜査のメスが入る可能性は残されており、今後の展開が注目される。

それにしても、筆者が猪瀬氏と知り合ったのは、30歳の頃だった。約35年前で、今は昔の話である。『噂の真相』創刊号にも猪瀬氏は署名で寄稿している。

当時の猪瀬氏はライター修業時代で、まだ無名に近い存在だった。その頃、猪瀬氏はデビュー前の映画監督・柳町光男氏とライター修業時代だった佐野眞一氏を引き連れて編集部を訪ねてきた事がある。

柳町光男氏は初めての劇場映画『19歳の地図』をクランクアップしていたが、配給ルートが決まらずに苦慮しているという相談だった。佐野氏と柳町氏は早稲田の同窓生であり、佐野氏は付添いのような形での初対面だった。柳町氏は、その後『さらば愛しき大地』や『火まつり』などで映画監督として活躍する。猪瀬氏も佐野氏も大宅賞を受賞する前の事である。

その後、猪瀬氏と佐野氏はライバルというよりも、天敵という関係になっていく。

猪瀬氏のエラソーな態度は当時から変わっていない。

二人の間になぜ亀裂が入ったのかの詳細は知らないが、大宅賞候補になった佐野氏の批判を猪瀬氏が執拗に展開していたことでも推察できる。

猪瀬氏の人間性に問題ありと判断した筆者は、しだいに猪瀬氏との間に距離を置くようになった。

決定的だったのが、『朝日ジャーナル』の連載で田中康夫氏が猪瀬批判を展開したところ、猪瀬氏が朝日の幹部に圧力を加えた事実を知ったためだ。批判されたら、言論で対抗するのが物書きのありようである。

猪瀬氏は、メディア発行元の幹部に圧力をかけるという掟破りをやったのだ。その発想はその後の猪瀬氏の人生にも引き継がれていく。

二人の関係が決定的になった事は、溝口敦氏と荒井香織氏の共著として出された『佐野眞一が殺したジャーナリズム』(宝島社)を参考にすればわかるはずだ。荒井氏に佐野氏の剽窃も言及している。片や、東京都知事となり、片や剽窃作家との烙印を押される。

しかし、剽窃情報を提供していたのは猪瀬氏なのだ。溝口氏は佐野氏と猪瀬氏の人生の暗転についても言及している。

その後、猪瀬氏は都知事を金銭スキャンダルで辞任した。佐野氏は『週刊朝日』の橋下徹大阪市長とこの剽窃問題で、目下休筆中だ。溝口氏は今の事態をどう思っているのか、機会があれば聞いて見たいところだ。ともあれ、35年前からの知り合いだった二人の大宅賞作家の運命は数奇という他はない。

今回は、今年最後の原稿という事で、今年の出来事を振り返るつもりだった。しかし、猪瀬都知事の辞任劇で紙幅が尽きた。

一言触れて置けば、安倍政権は、衆参両議院で過半数を制し、安倍イズムを満開させている。消費税増税や特定秘密保護法も可決・成立させた。

年末になって、南スーダンの内戦における国連のPKO活動への支援と称して韓国軍に一万発の弾薬の提供を決めた。武器輸出三原則を守り抜いてきた日本政府は、解禁へのステップとして、年末のドサクサ紛れで掟破りに踏み込んだ。来年は一強自民党という独裁政権を背景に強権力を駆使したタカ派内閣の本性を次々と発揮していくはずだ。まさに、日本政治の歴史的な岐路である。

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Written by 岡留安則

Photo by 勝ち抜く力/猪瀬直樹

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