前居住者が自殺した「事故物件」アパートに住むとどうなる? by草下シンヤ

ikiru.jpgPhoto by『生きる』(DVD)黒沢明監督作品

草下シンヤの「ちょっと裏ネタ」

 

 新年度も近付き、世間は引越しシーズンを迎えている。新居を選ぶときのポイントになるのは、「立地」「家賃」「間取り」などだろう。その中でも「家賃」に大きなウェイトを置いてしまうのは、ライターのような不安定な仕事をしているわたしだけではないはずだ。

築年数が古い、駅から離れている、火葬場やガソリンスタンドが隣接しているなど、家賃が安くなる要因は数多あるが、今回取り上げたいのは「事故物件」である。

事故物件というのは、居住者が自殺、他殺、病死などで亡くなった物件を指す言葉である。あくまで俗語として用いられており、正式には「心理的瑕疵物件」と呼ばれる。

わたしの友人に事故物件に住んでいる人物がいる。その人物は30歳の男性ライターで、暇さえあれば海外旅行に旅立ってしまうという自由気ままな性格の持ち主だ。

海外旅行に頻繁に行くものの、決して金持ちなわけではなく、所得水準は一般よりも低い。しかし、彼は「物を持ちすぎない生活」を標榜しており、無駄遣いをせずなるべく節約を心がける暮らしをすることで、そのライフスタイルを満喫している。そして「節約」の一環として家賃を浮かせるために事故物件に住んでいるのだ。

彼の住まいは、JR中央線高円寺駅から徒歩10分ほどの距離にあるアパートである。間取りは6畳ほどのワンルームで、若干手狭に感じるが、一人暮らしには充分な物件だ。

一度、事故物件を見てみたかった私は彼のアパートを訪ねたことがある。そのときは、ライター仲間、そして某有名漫画家と一緒に彼のアパートを訪問した。冬場だったこともあり、みなで家で鍋でもしようという目論見である。スーパーで買い物をすませ、彼のアパートに向かう。

不動産屋から友人が聞いた情報によると、先住者は20代の若者でフリーターをしていたらしい。具体的な悩みの内容などは聞かされなかったが、その若者は人生に絶望し、首を吊って死んだという。その結果、正規家賃7万円の部屋が半額の3万5000円で貸し出されているということだった。

「いくら半額だからってよくそんなところに住むよな」とわたしは言ったが、「霊なんて出ませんし、安いほうがいいですから」と友人は呑気に答えている。ちなみにその日集まった面々の中に霊感がある者はおらず、ひょっとしたら霊が出るかもなどと怯えている者は誰1人いない。

アパートに到着。部屋は心なしか薄暗いが、照明のせいだろう。また、やけに肌寒いが、部屋の主が電気代をケチって暖房をあまりきかせていないせいだろう。

なんの変哲もない男性の1人暮らしのアパートだった。「はー、これが事故物件ね」と周囲を見回すが、それ以上なんの感想も出てこない。「普通だね」と誰かが言い、それが結論になった。

この部屋に住む友人は「だから普通なんですよ。だって僕が海外旅行に行っているとき、この部屋を知り合いに貸していますけど、心霊現象があったという人なんていませんよ」と言っている。

友人はそのとき、わざわざここが事故物件であるということは告げていない。神経の細い人物に事故物件であることを告げれば気の持ちようでなんらかの現象を体験してしまうかもしれないが、知らなければ起こりようがないというのが実際だろう。そんなことよりも、自分の留守中にこの部屋を知人に貸し、滞在費をとっているという友人の商魂に驚かされる。

わたしたちは鍋を食べ始めた。酒も入り、にわかに楽しくなってくる。わたしが「前に住んでいた人のことがわかるものってなにかないの?」と尋ねると、友人は1枚のハガキを持ってきた。

「前に住んでいた人が借りていたDVDの督促状が届いたんですよ」

不動産屋から聞いた自殺の日取りと照らし合わせると、死亡するわずか数日前に近所のレンタルショップで借りたものらしい。先住者がそのDVDを返却することはなく、DVDは借りたままになっていた。そして死後、会員登録をしていたこの部屋に延滞料金の督促状が届いたのだ。

これは興味をそそられる。自殺者は死の数日前になにを観たのか。さっそくみんなでハガキを囲んだ。

そこにはお笑い番組の総集編のタイトルが記載されていた。自殺に向かう人間が笑いを求めていたことを目の当たりにして、部屋の空気が静まり返った。お笑い番組の総集編は複数並んでいたが、その下に1つ異質なタイトルがあった。

「生きる 黒澤明」

日本が誇る名監督黒澤明の中でも白眉とされる作品である。漫然とした日々を送っていた市役所の課長が末期ガンに冒されていることを知り、命を燃やしてある事業に向かっていくという「人はなぜ生きるか」というテーマを正面から見据えた名作であり、わたしも以前観て非常に感動した覚えがある。

部屋にいた誰かが言った。

「この映画を観た後死んだんですかね」

借りただけで観ることはなかったかもしれない。観た上で、死を選んだのかもしれない。今となってはわからないことだが、お笑い番組と「生きる」のタイトルが並んだ督促状に胸が突かれる思いがした。それまでただ若くて自殺をしたフリーターという情報しかなかったが、突然人間的な厚みを帯びた存在に見え始めた。

なぜかわたしは悔しくなった。酒が入っていたこともあるのだろう。なんで、こんなDVDを借りておいて死んでしまうんだと言いたくなった。

友人にどこで首を吊ったのかと尋ねると、ベランダだという。ベランダに出ると、コンクリートの床の部分が一部くぼんでいた。その上部で首を吊ったことで、コンクリートの床に体液などが染み込んだ。その部分を削りとった跡だという。わたしはその空間に向き合ったが、霊感のないわたしになにかが見えるはずもなかった。

わたしの友人は今もそのアパートに住んでいるが、先日、彼の恋人が妊娠をしたという報告を受けた。結婚そして出産ということになるが、新居に事故物件というのは相応しくないように思える。この機に引っ越しをするのか、それともなおも節約生活を続けるのか、友人の動向が気になるところである。

Written by 草下シンヤ

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生きてこそ。

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