森友学園・籠池理事長の正体が見えてきた|プチ鹿島の余計な下世話!

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 森友学園・籠池理事長について考えてみたい。今回の問題の当初にいち早く電話インタビューした『荻上チキ・Session-22』(2月20日・TBSラジオ)ではこんなことを言っていた。

『国有地購入は「第六感」 森友学園理事長がラジオで大放言』(日刊ゲンダイ・2月22日)

 《土地の売却額について情報公開請求をした豊中市の木村真市議を「無所属のようですけど、新左翼」と決めつけ、木村市議が自分の名前を売るために、問題を最初に報じた朝日新聞など「保守でないマスコミ」と結託して、「日本の国を高めていこうとする学校の建設を潰そうとしている」と主張。南京大虐殺や慰安婦問題まで持ち出して、新左翼と朝日新聞の悪口に多くの時間を費やした。》

  ぜひ音声を聞いてみてほしい。目立つのは籠池理事長のずさんさ・大雑把さである。その点を踏まえ、私が気になったのは「こういうおじさんって実は半径10メートル以内では意外に人気を集めてそう」という恐怖だ。「ずさんさ」がそのまま「人間臭さ」に変換してしまっている可能性。キチっとした人より親しみやすいと勘違いされてきた可能性。

「情と理」という言葉がある。「情」は保守派の、「理」はリベラル派の売りだと思う。しかし「情」が度を超すとズブスブとなり、「理」を徹底しすぎたら息苦しさを生む。どちらも過剰すぎるとデメリットがある。「情」の良い例と悪い例は田中角栄がわかりやすい。

  つまり今回の場合は、度を越した保守オヤジによる「単なるズブスブ」の癒着問題なのである。公に見えないところで何かやっている。こういうおじさんは全国各地に潜んでいる。

 東京都議会なら内田茂氏だろう。あのおじさんに関して私が最も不思議なのは、昨夏以来、あれだけ都知事やマスコミから「都議会のドン」と一方的に責められてきたのに公の場できちんと反論しない点だ。都民はちゃんと内田氏の肉声を聞いていない。

  ドンの顔を晒せと興味本位で言っているのではない。先日の千代田区長選では都知事に代理戦争とまで言われた。名指しされた。「都議会のドン」問題が完全に公の問題になっていたのである。なら、会見を開くべきではないか。そこで反論があるならすべきなのである。でもマスコミに追われると無言で立ち去るか、嫌そうに追い払う。公の概念が無い。

   陰に隠れるという特性は政治手法でもそうなのだろう。公の政策より身の回りへの分配を優先。それに群がる身近な人間たちは”オラたちの頼りになるセンセイ”だろうが、これも「情」が「ズブスブ」化しているだけ。エセ保守派といってよい。

  エセ保守派と言えば籠池理事長もそう。『Session-22』のインタビューを聴いて思ったのは籠池理事長は「お国」というフレーズが多かった。「日本の国の振興・隆昌させようという方向性の学校」とも言っていた。

  であるなら、大事な「お国」の土地をタダ同然で払い下げてもらい、情報を公開せず、自分たちだけ得してるって、彼らの好きな言葉で言えばまさしく「国賊」に値するではないか。お国、お国というなら、9億円の土地を20億円ぐらい出して買うのが本当の愛国である。この自己矛盾に気づかないのは、結局「お国」を利用した単なるズブズブおじさんなのである。

Written by プチ鹿島

Photo by xyza bacani

教養としてのプロレス

日本全国に生息するおじさんのひとり。

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