苦しいときに大きな声で「苦しい」と叫ばなくてもいい世界であれ|成宮アイコ・連載『傷つかない人間なんていると思うなよ』第五回

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冗談で与えられる地獄は許せたものじゃない

わたしは声質に特徴があるため、「声」について人生でたびたび指摘をされてきました。

たとえば、学校で何かを話すと、わざと高い声(おじゃる丸の電ボのような声)でオウム返しをされて笑われることは日常茶飯事でした。自分でも気にしているため、できる限り声を発さないようにして過ごした時期もあります。それでもむりやりにでも声を発さなくてはいけない場面がやってきます。特に、国語の時間の丸読み(「。」を区切りにして1人ずつが音読をしていく)は地獄でした。どうか読むのが短い文章にあたりますように、と手に汗を握っていました。悪目立ちをしてしまうので、合唱の授業はいつも口パクでした。

しかし、わたしにとって大切なのは学校が終わってからの自分の時間でした。学校にいる半日さえ我慢していればいいので、勇気をふるい無理をしてまで「声の真似をしないで!」と大声をあげる気持ちにはとてもなりません。むしろその逆です。できるだけ目立たないように、できるだけみんなと一緒に座っていられるように、自分の声が埋もれるように、心が乱れないようにいることのほうが重要でした。

いま振り返ってみても、声真似をされて嫌な思いをしたわたし自身が声をあげる必要はなかったと思います。控えめに言っても、どんな気持ちでいるかを考えられない相手、嫌そうだからやめたほうがいいよねと気づかない相手の問題だと思うからです。
(あれは冗談だったんだよ、とは死んでも言わないでほしい。冗談で与えられた地獄なんてとても許せたものではない。)

当時、家庭崩壊していた家の内情を隠して、数少ない会話ができるともだちと一緒にテレビや先生の話をしていると自分が溶けていくような気がしました。他の家庭のような平穏な日常を過ごせていない自分は、世界から仲間はずれにされている気持ちだったので、みんなと同じである時間、6年3組の40名の中のひとりである時間は救いでした。

みんなと同じであることは、わたしにとって絶対的安心だったのです。

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わたしたちはいつも、個性的であれという呪いにかかっている

歌舞伎町のミスタードーナツでコーヒーを飲んでいたら、隣のテーブルに座ったグループの会話が聞こえてきました。「別に行きたい大学ないし」「とりあえず就職はまだしたくない」どうやら、進路の話をしているようでした。会話を遮るように、ひとりが言います。「同じスーツを着て満員電車に揺られるような大人にはなりたくない」

外は雨が降っていました。19時すぎ、会社が終わったころなのか新宿駅に向かう人の波はそれぞれの選んだ傘が広がり、色づいていきました。同じスーツの色、違う傘の色、わたしたちが見下ろしている交差点。ひとりひとりが自分の人生を生きています。

起業をして自分の夢としての仕事に生きる人、趣味を楽しむお金を稼ぐために仕事をしている人、生活のため、将来のため、家族のため、それぞれに人生があります。いつも好きな服を着ていられればそれに越したことはありませんが、好きな服を着る仕事をすることよりも大切なものがある人もいます。自分の自由を重んじるひともいるし、家族との時間を重んじるひともいる。わたしたちは、それぞれに自分が大切にしているものの順位が違います。生きること、生活をすることは、世界の歯車になることではありません。

けれど、わたしたちは進学や就職など、ことあるごとに他者との比較を求められます。「自分が他人と違うところは?」「自分の個性をアピールしてください。」「あなたにしかできないことは何ですか?」人と同じではいけない、個性を伸ばせ、自分だけのものを提示しろ……わたしもたびたび言われてきた言葉です。心が少し痛みました。

 同じように、欅坂46の「サイレントマジョリティー」を聞くたびに、わたしの心は少しずつ傷つきます。歌詞のたったワンフレーズ、4,5秒の言葉なのですが、自分の存在がえぐられるような気がするのです。

“One of themに成り下がるな”

成り下がるな……?

この曲を知ってすぐに、検索窓に「One of themに成り下がるな」と打ち込みました。歌詞を調べたかったからではありません。なぜこの歌詞を聴くたびに悲しい気持ちになるのか? 自分でも理由が分からなかったので、このモヤモヤは何なのか、自分と同じ気持ちの人がいれば安心するような気がしたのです。

しかし、調べ方が悪かったのか絶賛の言葉しか見つけられませんでした。

“One of themに成り下がるな”
“One of themに成り下がるな”
“One of themに成り下がるな”

どうして自分はこんなに傷つくのか。なぜこんなに悲しい気持ちになるのか。たった一言です。数分の曲のたった4,5秒です。しかし、心に重くひっかかったまま、悲しい気持ちが消えませんでした。

 あのころ、みんなに溶けていく気持ちで安心したこと。苦しい側が声をあげるために必要な気力のこと。人の数だけ道があるのなら、人と違っても、人と同じでも、等しく素晴らしいものではないのだろうか…。人を比べて見下すのは違うのではないだろうか…。

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誰もが見下されない世界でありますように

わたしたちはあらかじめ違う人間です。それと同時に、命があるという点でまったく同じです。しかし、One of themならば尊くない、最下位ということはないはずです。声をあげる人のみが尊い、という世界では困ってしまいます。

One of themでいることがつらい人もいれば、One of themでいることで楽になる人もいます。先導して道を切り開くことはたいへんです。たぶんそれは、気力がありあまっているときに、気が向いたらすれば良いのです。苦しい真っ最中なんて、せいぜい裏アカで愚痴をつぶやくのが精一杯です。

同じ色が好きな人、同じ服が好きな人、同じ音楽が好きな人、そして、違う色が好きな人。週間ランキング1位の本を読んでいようが、クラスのみんなが読んでいないマンガを読んでいようが、オリコン1位のJ-POPが好きだろうが、理解されにくい爆音ノイズバンドが好きだろうが、人としてどちらが優れているか比較などできません。人の数だけ道があるなら、”人と同じ道を選ぶ道”を見下すのは悲しいことです。

それぞれが違う性格、趣味、考え方、傷つき方を持っています。
それぞれが同じく、幸せを感じる心、傷つく心を持っています。

極端な言い方をすれば、わたしたちは十人十色のワンオブゼムです。

自信のないとき、不安なときに、自分の心に負担をかけて無理をしてまで大きな声で反論や主張をしなくてもいい世界は、きっと誰にとっても優しい世界です。これは夢物語でしょうか。隣に座っている人がつらそう・悲しそう・無理をしていそうなときに気づくことは、それほど難しいことでしょうか。

わたしが望む世界は、オンリーワンのみでもなく、ワンオブゼムのみでもなくて、それらを意識せずにいられる世界です。自由が、声をあげて主張をすることだけであってほしくないのです。そして、多様性とは、One of themであってもOne of themでなくても存在を見下さないことであってほしいのです。

これから始まる1年が、心に余裕のあるときだけでいいので、誰かの裏アカが発信しているSOSに気づけるような世界でありますように。そして、自分に余裕がないときは、声をあげられずに黙っていても見下されない世界であるように願っています。

この文章を書きながら、世代を超えて共感されている曲にどうしても自分を重ねることができないわたしは、大勢の方に支持されるような文章はこれからもきっと書けないのだろうなと思うと少しがっかりもするのでした。

文◎成宮アイコ

https://twitter.com/aico_narumiya
赤い紙に書いた詩や短歌を読み捨てていく朗読詩人。
朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ全国で興行。
生きづらさや社会問題に対する赤裸々な言動により
たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと決めている。
2017年9月「あなたとわたしのドキュメンタリー」刊行。

傷つかない人間なんていると思うなよ