中華三昧のヒットから始まった「高級袋麺」ブーム|『オレの昭和史』中川淳一郎連載・第八回
注)写真は私が作ったタンメン
今年は日清食品のチキンラーメン誕生から60年。即席袋麺のロングセラーの一つとしてまだ残っているのが驚きである。他のロングセラーとしてはサッポロ一番(サンヨー食品)、出前一丁(日清食品)、チャルメラ(明星食品)、うまかっちゃん(ハウス食品)などがある。
そして、こうしたロングセラーの中でも「高級」とされるものが存在する。1981年に明星食品が送り出した「中華三昧」である。同社HPの「中華三昧の歴史」には以下の記述がある。
〈1981年10月27日「中華三昧」発売。 即席麺市場に高級麺旋風を巻き起こしました。 中国料理を代表する料理である、広東、北京、四川をテーマに、「本格中華の拉麺」として発売、この年唯一と目されるほどの爆発的ヒットになり、その後、即席麺市場の高級麺ブームが発生しました〉
同商品は糸井重里氏が広告コピーを書いたが、「中国四千年の味を伝える幻の麺」とされ、通常のラーメンの倍近い120円というデラックス価格で販売されたが爆発的ヒットとなった。味は「広東」(醤油)、「北京」(塩)、「四川」(味噌)で、腰のあるノンフライ麺と高級感あふれる液体スープ+粉スープのセットは画期的であった。
中華三昧発売1年前である1980年には国立科学博物館で『50万年前・北京原人展』が開催され、当時の小学生の間では話題となっていた。クロマニヨン人やピテカントロプス、ジャワ原人は有名だったが、我々の隣国である中国にも原始人がいたのか! といった興奮を抱き、「もしかしたら日本にも原始人がいたのかもしれない!」と期待に胸躍らせたのである。
そんなことがあっただけに「北京」の文字は当時の子供たちの間ではポピュラーだったが、問題は「広東」と「四川」である。これを「ひろひがし」や「よんかわ」ではなく、キチンと「カントン」「シセン」と読めることを誇る者もいた。生まれて初めて知る中国の地名に加え「中国四千年の味」である。神秘的過ぎると評判になり、中華三昧は子供の間でもブームとなったのだ。そして、中国への妙な憧れも生まれるようになっていく。
すると、明星食品の成功に続けとばかりに次々と他のメーカーが高級な中国風のインスタント麺を繰り出していく。いずれもCMが印象的なのと、「アル」と「アイヤー」しか中国語を知らなかった子供達にとって新しい中国語風の言葉を見て一つ知識が上がったような気がしたのである。
実際のところ、商品名もCMでもさほど中国語を使っているワケではないのだが類似商品が続々と登場し、中国をイメージさせるのに躍起となっていた。
次々と登場する謎の中国語風商品たち
「マダムヤーン」とナレーションが言い続ける「楊夫人」(マダムヤン・ハウス食品)
「中国でもない、日本でもない」「人類ハ麺類」のコピーで知られる「麺皇」(メンファン・日清食品)
「チン」という言葉が子供達に大人気になった「華味餐庁」(カミサンチン・東洋水産)
これらの中ではもっとも影の薄かった「桃李居」(トウリキョ・サンヨー食品)」
結局、この「中国風高級中華袋麺」の中で残ったのは中華三昧だけとなったが、その後「ラ王」(日清食品)や「マルちゃん正麺」(東洋水産)が出てきて袋麺も多種多様化した。
あの頃、中国は子供達にとっては憧れの国だった。
ブルース・リーやジャッキー・チェンの映画に熱狂し、さらには少林寺で修業をしたいと考えていた。これら一連の高級中国風袋即席麺の登場の陰には子供達が中国に神秘性を感じていた面もあったのでは、と今では思う。
当時はチャルメラとサッポロ一番が土曜日の昼ご飯の定番だったが、親に「カミサンチンがいい!」などと頼み込んでいたのである。
だが、中国は謎の国でもあった。当時週刊少年ジャンプで連載していた『キン肉マン』だが、中国代表の超人の名前は「ラーメンマン」。「中国人といえばラーメンだろう」ぐらいの印象しかなかったのかもしれないのだが、ラーメンマンは屈指の人気キャラに。だからこそ、フレッシュジャンプにて『闘将!!拉麺男(たたかえ! ラーメンマン)』というラーメンマンが主人公の漫画も登場したのである。日中国交正常化から10年が経過したぐらいの時代だったのだが、少なくとも子供達の間では親中感情は高かったと思う。
なお、バブルが始まった頃の1987年、百貨店限定で1000円する中華三昧「新中華三昧 特別仕様」が登場。牛肉、フカヒレ、アワビなどのレトルトが入っている超高級バージョンだったが、これが我が家にもお歳暮でやってきた。お歳暮でインスタントラーメンをもらったのは後にも先にもこれが初めてである。味はそれはそれは美味ではあったが、外で食べるラーメンが300~400円といった時代なだけに、さすがに親は買うことはなかった。
文◎中川淳一郎