「平昌五輪」に対する日本の立ち位置を考えてみた|青木理・連載『逆張りの思想』第三回

pyongchang.jpg

平昌冬季五輪への北朝鮮参加をめぐり、南北朝鮮の協議がつづいている。だが、これを報じる日本の新聞やテレビの論調は冷淡一色。
「北朝鮮の時間稼ぎだ」「韓国を取り込む戦略」「協議は完全に北朝鮮ペース」「韓国は翻弄されている」「五輪の政治利用だ」……等々、肯定的な意見はほとんど聞こえない。

もちろん、北朝鮮にそうした思惑はあるだろう。韓国・文在寅政権の姿勢がやや前のめりで、韓国内でも反発や懸念の声があるのは事実。ただ、南北の交流と対話を支持する声も強く、欧米メディアを含め、日本のメディアの冷淡ぶりは突出している。

推測するに、日本社会に根強い北朝鮮憎しの風潮に加え、慰安婦問題などをめぐる韓国への反発もあるのだろう。朝鮮半島に侮蔑的な空気も、個人的には気になっている。

しかし、冷静に考えれば、今回の南北対話には肯定的な面もある。

まずは平昌五輪の無事な開催。北朝鮮をめぐる緊張が高揚する一方なら、各国も安心して選手団を送り込めない。1988年のソウル五輪の際は、直前に大韓航空機が爆破される事件があったことを考えれば、そうした懸念がとりあえず払拭されたのも大きい。

また、最近は中国が北朝鮮への締めつけを強めているらしい。北朝鮮だって必死だから、韓国との対話に思惑や狙いがあるのは至極当然。ならばこれを突破口にし、韓国とも協力して北朝鮮をもっと広い対話の場に引っ張り出し、核やミサイル問題をめぐる米国と北朝鮮、あるいは関係国の対話スキーム構築を目指す手もある。

いや、これ以上の緊張を避けるために、日本などはその先頭に立ったっていい。北朝鮮をひたすら追いつめ、最後は武力でやっつけてしまえ、などと本気で考えているなら別だが、そんな事態になれば日本も惨禍から免れない。おびただしい命が失われる。

しかし、これほど南北対話に冷笑的な雰囲気をメディアが煽ってしまうと、 政権はほくそ笑んでいるかもしれないが、現実には日本の政策的な選択の幅を狭めてしまう。仮に米朝や米中朝、米中に南北が絡んだ対話などが実現しかけた時、むしろ日本だけが取り残され、主導権を失う。以上の懸念は別に「逆張り」ではなく、「順張り」の考えだと僕は思う。むしろ日本が「逆張り」してばかりに見えるのが僕の懸念なのだが。

文◎青木理