中学受験する奴としない奴・立川ではバカにされた私立受験|『オレの昭和史』中川淳一郎連載・第十二回
川崎市立でありながら鷺沼小学校は隣駅が新興セレブ住宅街だけあって中学受験はむしろ当たり前だったのだが……。
https://about.yahoo.co.jp/info/bigdata/special/2016/01/
昨今、メディアでは「お受験」が話題になることが多い。幼稚園、小学校に関しての話が一般的だが、もしかしたらこれは日本国内でも一部の話かもしれない。少なくともその先にある「中学受験」に関してはビッグデータの面から分析するとそのようになっている。
ヤフーが2016年3月8日に発表した「日本は2つの国からできている!?~データで見る東京の特異性~」というレポートにそれは詳しく記されている。ここで東京のヤフー検索数が図抜けて多いことや、「タクシー」の検索数が際立って多く、「自動車メーカー(の名前)」の検索数が圧倒的に少ないこと、さらには年間で電車に乗る回数が他を引き延ばす多さであることを明かした。
ヤフーの検索データによると、「中学受験」というキーワードの検索数はごく一部の都県に限られている。日本最多の神奈川県を100とした場合、東京・埼玉・千葉が「80以上」で、鳥取が「70以上」、熊本が「60以上」で残りは軒並み「50未満」となっている。
今回は、「中学受験」について書いてみる。
私は小学校1~4年生(1980年~1984年)は神奈川県の川崎市立鷺沼小学校に通い、5~6年生は東京都の立川市立立川第八小学校に通った。川崎といえば、荒くれ者の街というイメージを持つ人もいるかもしれないが、鷺沼が位置する宮前区は『金曜日の妻たち』的な郊外の新興ニュータウンのような場所で、荒くれイメージのある川崎区とは雰囲気は異なる。むしろ隣の横浜市青葉区に雰囲気は似ている。
だから自然と教育熱は高く、中学受験をする児童も多かった。2つ年上の私の姉は周囲の雰囲気に流されやすいタイプだったため、5年生から隣駅・たまプラーザにある日能研に通い、中学受験の準備をしていた。姉によると、クラスの大多数は塾に通っていたという。私の場合でも、4年生の頃からすでにクラスメイトの4割ほどは塾に行っていたが、5年生になるといよいよその割合はドッと増える。「うわっ、オレは5年生になりたくねぇ……。なんで学校終わってまで勉強しなくちゃいけねぇんだよ」と毎回思っていた。
そして、魔の5年生を目の前にした3月末、私は立川市に転校する。当時の立川はなかなかの荒くれの街ではあった。5年生の新学期になり塾に行くのを覚悟していたのだが、クラスの40人中、塾へ行っていることを公言する者は5人ほどだった(隠れ塾通いはいたかもしれないが…)。それも中学受験を目指すというよりは、「バカだから行く」といったもので、親が心配をして「街のおじさんが自宅でやってる」的な塾にブチ込んだ感がある。
本当に塾通いをする生徒があまりにもいないため、私も当然塾には行かず、放課後は遊び惚ける日々が開始した。クワガタ採り、ファミコン、ゲームセンター、駄菓子屋、野球、サッカー、エロ本収集ツアーなどをクラスメイトとひたすら夕方までやり続け、まったく勉強をしなかった。クラスメイトの男のほとんどは宿題を除き自宅で勉強はしていなかったと思う。
かくして小学校6年生の冬が来たが、相変わらず我々は遊び惚けていた。皆、受験が不要な地元の公立中学である立川第六中学校に行くことしか考えておらず、「中学に入ると部活があって遊べなくなるらしいぜ」と言い合い、遊びまくっていたのだ。当時の関心としては、六中では小規模小学校である立川市立第十小学校の生徒と合流する、ということぐらいだった。
「オレらは200人、あいつらは40人ぐらい。数で圧倒できるぜ」やら「十小にすげぇ戦闘力のヤツがいたらどうなるかな。でも、オレらには〇〇と××と△△と□□のケンカ強い四天王がいるから勝てるよな」「そうだ、〇〇に勝てるヤツはいねぇ!」といったバカな話ばかりしていたのだ。
校庭を歩くAが受けた仕打ち
そして2月、突然クラスメイトの一人・Aが学校を休んだ。一体何があったのかといえば、その日は中学受験のため休んでいるのだと担任は言った。クラスはざわめき、「えっ、あのデブ、受験していたのかよ」「えっ、私立行くヤツいたのか!」などと話した。全員で六中に行くと思い込んでいたというのに、まさかの裏切り行為である。
だが、受験した彼はいわゆる「嫌われ者」であり、すぐに場の空気は「まぁ、あんなヤツいなくてもいいよな」というものになっていった。何限かは覚えていないが、午後の授業をしている時、窓の外を見ると校庭をAが歩いて校舎に向かっている。クラス中「Aが来た!」と大騒ぎになり授業は中断。
すると、その内の一人が二重窓を両方開けて叫び始めた。当時、立川は米軍基地があった名残で学校の教室の窓は防音のため二重窓になっていたのである。開けた生徒は突然校庭のAに向かってこう叫んだ。
「しーりーつー!、しーりーつー!、しーりーつー!」
つまり「私立! 私立! 私立!」とバカにしながら囃し立てたのである! このコールに触発され、男子生徒達は窓を一斉に開け、窓に連なって10人以上で一斉にAに対して「しーりーつー! しーりーつー! しーりーつー!」と叫んだのだ。Aは何も反応することはなく数分後、教室に入ってきたのだが、教室に入ってきた瞬間、「うわっ、私立が来たぞ!」「私立だ!」という罵倒に晒されることとなった。
この時、私の姉は中学1年生になっていたが、川崎の鷺沼小学校で私立受験をする生徒をバカにする風潮があったかを聞いてみた。すると、「そんなものあるわけないじゃん。受験するのは普通だし、私立に行くのは普通だし、むしろ地元の公立に行く方がバカだと思われていたよ」と言う。
なんと……。川崎と立川、JR南武線で繋がっているというのに、ここまで教育に関する意識が違うのである! 結局八小から私立に行ったのはAと別のクラスの女子生徒の2人だけだった。地元の六中に行った者は「あいつら2人も六中に来ていれば楽しかったのにな。シリツなんか行って、勉強ばっかやるつまらない人生になっていただろうな。仲間もいねぇだろうしな」などと話していたのだ。
「中学受験をするとバカにされる」という妙な風潮が多摩とはいえ、当時の東京にはあったのである。ちなみに中学受験を目指していた私の姉だが、学芸大附属小金井中学を受け、1次試験たるくじ引きで落ちてしまい、結局私と同じ六中に行くことになったのであった。
文◎中川淳一郎