スペースインベーダー誕生40周年 ゲームセンターが「不良のたまり場」だった時代|中川淳一郎

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 今年は世界的にヒットしたゲーム「スペースインベーダー」の発売から40年の年にあたる。当時のゲームセンターや喫茶店にはテーブル型の筐体が置かれ、100円玉を積み重ねた人々がこのゲームにハマり、相当多額のカネをつぎ込んでいた。

 1973年生まれの私が初めてゲームセンターに行ったのは小学校2年生になった1981年だが、当時は「不良のたまり場」とされていた。薄暗い店内には、剃りこみを入れた不良の中高生がタバコを吸いながらたむろし、筐体を叩いたりしながら嬌声をあげていたのだから。

 こんな中、小学生が混じっているとカツアゲの対象になるかと思われるかもしれないが、カツアゲは知る範囲ではなかった。むしろ中学生の不良からすれば使いっ走りのスカウト現場になっているようだった。同級生の中にも不良中学生の子分になったことを誇らしげに語るヤツもおり、そいつはタバコを吸ったことも自慢していた。

 そんな彼の姿を見て、不良になる勇気も覚悟もない我々は憧憬の眼差しを向け「でも、なんかすげーかっこいい! オレらも今度ゲームセンターに行こう!」と覚悟を決めるのである。恐る恐るゲームセンターのガラスの扉を開けるとそこはいかにも怪しい空間だった。

 外が健康的に明るい中、薄暗いゲームセンターの中は退廃的かつ怪しい空気に満ちていたのである。年上の男達がチラリとこちらを見たかと思えば、「チッ、うるせぇガキが来やがって、ケッ」的な態度を取るのだ。最初は怖気づくものの、中を一周し、どんなゲームがあるのかを把握し、なけなしの300円をどのゲームに使うかを決めたところで少しは落ち着きを取り戻した。

 最初にやったゲームは『平安京エイリアン』『ルパン3世』『サスケVSコマンダー』の3つだった。初心者なものだからすぐに終わってしまったのだが、ゲームが上手な中高生や大人のプレイを我々小学2年生軍団は後ろから見ては「スゲー……」とため息をつくのである。思えば、こうして自らのゲームの実力と財力を見せつけて不良中学生は我々から尊敬され、いつしか「スカウト」に至るということだったのだろう。

 この怪しい雰囲気には一気にハマることとなる。しかし、財源がもたない。そこで小学2年生が開始するのは、親の財布からカネを盗むことである。「誰か親の財布のありか知ってるやついるか?」などと相談しあい「今日はオレは分かるぞ」と述べた者の家に行き、そいつが財布からカネを引き出す間、他の生徒達は親と雑談をし、注意を逸らすのである。

 うまくカネを引き出せたら「イェイ!」と皆でガッツポーズをし、ゲームセンターに向かった。大抵の場合、500円札1枚か1000円札1枚だったのだが、これで数時間の時を過ごした。カネが少ない日は100円のゲームではなく、50円のゲームを選ぶこととなった。ある時、カネをくすねようとしていると、その行為が親にバレた。彼は咄嗟に「今月、ウチはどれぐらいのお金が必要か心配だったので財布をチェックしていた」と言い訳をした。

恐るべき親の力に屈服した不良少年予備軍たち

 恐らくこの頃から親のネットワークで我が息子達がゲームセンターに入り浸っていることは共有されていたのだろう。また、各家庭でカネがくすねられていることも共有されていたことも想像ができる。
 いつしか我々のゲームセンター通いグループは「○○君と××君と□□君と中川君が駅前のゲームセンターに入っていくのを見た」という噂を流されるようになり、学校でも教師から叱責を受けた。

 もしかしたら校則でゲームセンターへの入店は禁止されていたのかもしれないが、教師と親の連携プレーにより、我々はゲームセンター通いを禁止された。結局我々の中から不良の下っ端になる者は一人も現れず、3年生になると誰もゲームセンター通いはしなくなった。

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 そう、それに重要な影響を与えたのが1981年に発売されたエポック社の「カセットビジョン」と、1982年にトミーから発売された「ぴゅう太」という家庭用ゲーム端末である。
ゲームセンターに行くよりも、これらを持っている金持ちの子の家に行き、「スクランブル」「フロッガー」「きこりの与作」といったゲームをやるようになったのだ。

 そして1983年、4年生になるとついに任天堂からファミコンが発売され、「若者の○○離れ」ではないが、「小学生のゲームセンター離れ」が加速する。これら家庭用ゲーム機のヒットにより、ゲーム自体がより一般化し、ゲームセンターが「不良の巣窟」から脱却したのでは、と今では思っている。
 また、1985年頃の駄菓子屋では、ゲームセンターをお払い箱となった『ドンキーコング』などを20円でプレイすることができるなど、ゲームは確実に明るいものになっていった。

 今では女子中学生がプリクラを撮る場所だったり、家族連れがクレーンゲームをやったりする場になり、あの頃のアングラ臭は消え去った。『オレの昭和史』中川淳一郎連載・第十七回)