永遠なれ! 鉄人衣笠祥雄に贈る江夏豊の言葉が泣ける!|吉田豪

003.jpg

 鉄人・衣笠祥雄、死去。衣笠といえば1979年のいわゆる「江夏の21球」のときも、広島カープ・古葉竹織監督に対して「自分を信用しないのならば辞めてやる!」と憤慨する江夏豊に、「オレもお前と同じ気持ちだ」「お前にもしものことがあったら、俺もユニフォームを脱ぐ」と声を掛けたことで知られるんですが、この2人の親友関係が本当にいいんですよね。

 衣笠が亡くなったときの「いいヤツを友人に持ったよ。オレの宝物だ。どっちみちワシもすぐ追い掛ける」(江夏)というコメントも最高すぎる!

 江夏曰く、「広島時代は、嫁さんといる時間よりサチ(衣笠)といる時間の方が長かった」とのことで、当時は2人でカラオケスナックを貸切にして朝までアリスの歌を歌い続けたとか、江夏がトレードで日ハムに行った後、喫茶店でアリスの歌を聞いた衣笠が「豊がおらん!」と号泣したとか、いい話ばかり。

 そんなわけで2010年にボクが江夏さんをインタビューしたときも、この親友関係を掘り下げてみたわけです。

「まあ、あいつと朝まで歌ったこともあったし。楽しい思い出ですよ。あいつとは広島での3年間ホントによく一緒にいたね。野球の話も嫌っちゅうほどしたし、ひどいときは1週間あいつと毎日ゴルフやってたからね。広島から四国に飛んで、四国で4~5ヶ所やって、大阪を周って。あいつとはホントになぜかウマが合ったね」

 すると、ここからは親友じゃないと言えないギリギリの表現に突入!

「最初見たときはビックリしたけど。かなり個性的な顔しとったからね。会ったのが甲子園球場やったんですよ。俺は最初、隣の阪神甲子園パーク(動物園)から抜け出してきたんじゃないかと思って、それぐらい個性的でね。野球のグラブとバット持つよりか、槍とか弓を持ったほうが似合う。それぐらい強烈やったからね。で、聞いたらやっぱりハーフやしね。自分の生い立ちをあいつがしゃべってくれると、俺も同じように涙を流して。想像もつかない苦労だよ、ハーフの苦労っちゅうのは。あいつはああいう日本人離れした顔でね、想像できない苦労してきて。にもかかわらず、こんなに人に対して、野球に対してホントに素直なヤツはいないなと思ったもんね。そういう意味じゃあいつは俺にとっては宝物ですよ。それぐらい大事なヤツやね」

 思わず「アウト!」と言いそうになるけれど、表現はともかくどれだけ親友のことを思っているのかが非常によくわかる発言。おそらく、いまのテレビなり雑誌や新聞なりで取材を受けてこうコメントしたら、前半部分がごっそりとカットされて、後半部分のいい話だけが記事になると思うんですけど、このいまの基準だと完全アウトな前半部分があるからこそ後半のいい話が際立つわけですよ。

002.jpg

「ただ、大事な割にはあいつには苦労かけられた。あいつは酒に強くはないんですけど好きなんですよね。で、自分と行くとあいつも安心するのかな。俺は全然飲まないから、安心して酔っ払うんだよね。だからあいつの醜態は嫌っちゅうほど見てきてる。ほんで、中には変わった趣味の女性がいて、あいつと一緒に遊びに行くと消えてしまうしね。で、そういう人がいないときは俺がホテルに連れて帰って、まあ、パンツまでは脱がさんけど、俺が服を脱がして寝かして。それで俺は自分の部屋に帰ってたんだから!」

 最高にいい関係じゃないですか! とボクが言うと、江夏さんはこう言ってました。

「いい関係というか、迷惑な男だよね。いつも行ってた店でアリスが流れて『豊がおらん、豊がおらん』って泣いとったっちゅう話を聞くと、バカヤロー、いい年こきやがってと、嬉しい半面、寂しくなったよね」

 今度は江夏さんが「サチがおらん、サチがおらん」と泣きかねない状況になっちゃったわけですけど、この先も江夏さんには元気でいて欲しいものです。(文◎吉田豪|連載「ボクがこれをRTした理由」)