いつから花型競技に? 昭和の部活・卓球は「暗いスポーツ」だった|中川淳一郎

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 中学や高校の部活は今考えるとおかしなことが多過ぎた。最近の部活で顧問や上級生がおかしなことをやれば、生徒や保護者がその様子を動画で撮影し、ネットで公開し大炎上し改善されるといったことはあるが、昭和の部活ではそんな改善などなかった。完全に治外法権的なむちゃくちゃがまかり通っていたのである。

 1986年、私は卓球部に入った。今でこそ卓球といえば世界大会がテレビでも放送され、日本代表もオリンピックでメダルを獲れる花形競技になっているが、当時日本中の中学生に蔓延していた卓球部のイメージは「暗い」であった。

 なぜ卓球部が暗いのか、その根拠は分からないし暗いことの何が悪いのかもよく分からないのだが、卓球部は暗いとされていた。卓球部に入った理由は特になく、小6の時のクラスメイトで人望の厚かったTが入ったため、クラスがバラバラになってしまった我々は同じ部活になれば一緒にいられると思って6人で一斉に卓球部に入ったのだ。

 4月に卓球部に入ったのだが、ラケットを初めて握ったのは6月だったと思う。それまで何をやっていたのかといえば、ひたすら走ったり懲罰を受けているだけだった。そもそも私の通った中学の卓球部の練習場所は校舎の隅っこの廊下だった。ここに卓球台を縦に何台か並べ、球を打ち合うのだ。体育館はバスケ部のような花形の部活の連中が使う場所だった。

 1年生は準備体操をした後、中学の隣にある市民体育館の周囲を囲む1周370mほどのランニングコースを20周走るのである。遅刻をする者がいたら40周走った。一体これが卓球の何に役立つのかはよく分からなかったが、連日走るばかりだった。そして時に2年生から連れられ、校舎の隅に連れていかれて「お前らは最近たるんでいるから今日は『電気椅子』をさせる」と言われた。

 一般には「空気椅子」と呼ばれる背中を壁につけ、両足を地面につけて座るアノ苦痛まみれの拷問的行為である。先輩は電気椅子こそ足腰を鍛えるのに役立つと主張し、彼らは全員が1年生の時にこれをやすやすとこなしていたと語っていた。

 15人ほどの1年生は一斉に壁について電気椅子を始める。そして、数分経って皆が苦悶の表情を浮かべ始めると2年生はヘラヘラと笑いながらこう言った。

「よし、お前達、これからダジャレを言って面白かったら少し休んでいいぞ」

 こうして2年生は右端から一人ずつダジャレを言わせるのだ。「布団が吹っ飛んだ」やら「バスガス爆発」などと皆答えていくのだが、2年生は「面白くない!」と言い、誰も休ませない。私は「梨がない」と言ったがコレも受けず「『梨』と『ない』は違う言葉だ。ダジャレになっていない!」と怒られた。唯一先輩の爆笑を買ったのはSが言った「電話をかけたら誰も出んわ」というダジャレだった。彼だけが許され、ようやく休むことができたのだ。

522da5fc6231a48da713a1326ce3b6c4_s.jpgなぜラケットさえ握らせてもらえなかったのか……


こんな練習がのちのち私に残したものとは

 こんな日々が4月と5月は続き、ようやく6月にラケットを持てるようになったのだが、やっていることは素振りだけだった。脇では大会を控えた3年生と2年生が楽しそうに卓球をしている。その後、卓球台は使わせてもらえるようになったものの、1年生が実際に卓球をすることができる時間というのは限られており、相変わらず7月になっても走っているばかりだった。そして8月、夏休み期間中に「新人戦」が行われ、立川市内の中学同士の対抗戦があったが、我々1年生は惨敗だった。そりゃそうだ。春から夏まで走っているだけで卓球の練習時間が圧倒的に足りなかったのだから。

 さて、9月になると我々が心の頼りとしていたTが突然卓球部を辞めた。元々彼は野球が好きだったのだが、なんらかの家庭の事情もあり毎日練習がある野球部に入るのは無理があったため第二希望だった卓球部に入ったものの、野球への情熱を捨てきれなかったのだと推測できる。

 そこらへんの事情はT本人からも聞いたことが無いので分からないのだが、私も9月中旬には卓球部を辞め、Tを追うかのように野球部へ移った。これに同調し、私も含めて5人が一気に辞めて別の部に移り、当初15人いた1年生は9人になってしまった。

 恐らく走ってばかりの卓球部にもう耐えられなかったのだろう。今でも卓球部で思い出すのは、「電気椅子」をする1年生を前にあの野卑た笑顔を浮かべる2年生の姿と、罰として市民体育館の周囲を40周走らされバタバタとダウンしていく1年生の姿だけだ。しかも、顧問の教師がいたことすら思い出せないほど、2年生による恐怖政治がまかり通っていたのだ。

 これ以来私は極度に集団行動が嫌いになり、今や「大人のサークル」的なものにも嫌悪感を抱いている。(文◎中川淳一郎 連載「俺の昭和史」)