「ダブルパンツ」とは何だ!? 昭和の男の子たちは”こんな事”に興味を示していた!|中川淳一郎

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 今の子供達がどうかは知らないが、昭和時代の小学生はアソコの毛に異様な興味を示していた。私が小学5年生になった時(1984年)、1学年5クラスだったがその中に一人だけアソコの毛が生えている男子生徒がいた。男女比はほぼ同じだったので100人中1人だ。

 その年の4月の進級に合わせて私は神奈川県川崎市から東京都立川市に引っ越してきたが、クラスに入ってすぐの話題が隣のクラスのAに関することだった。当時はいかに立川の小学校が川崎の小学校よりも優れているか、ということをクラスメイトはしきりと力説していた。それこそ川崎ではご飯給食はなかったが、立川では週に1回ご飯の給食が出ることを誇らしげに自慢されたりもした。そして、自慢の中の一つが以下の発言である。

「おい、オレらの隣の4組のAにはアソコの毛が生えているんだぞ。川崎の学校にはアソコの毛が生えた同級生はいなかっただろう!」

 こうして自慢をする割には、Aのアソコの毛は嘲笑の対象だった。夏になるとプールの授業が始まったが、更衣室ではAが毎回恥ずかしそうに着替えをしていた。開始前であれば、水着をすでにはいた状態でアソコの毛を晒す必要はなかったが、終了後はさすがに濡れた海水パンツをはいているわけにはいかない。

 バスタオルを腰に巻いてなんとか他人に見られないようにパンツをはこうとするのだが、周囲の生徒達はそのバスタオルをひきはがそうとする。何人にも囲まれ、Aは結局スッポンポンにされしまい、囃し立てられるのだ。プールの度にこの光景が展開され、いつしかこの儀式は「チ○毛ショー」と呼ばれるようになった。

 翌年、6年生になっても相変わらずアソコの毛の生えた生徒はAだけだとされていたが、3組のBにもアソコの毛が生えているという噂が流れてきた。しかし、Bは頑なに見せようとしない。「ダブルパンツ」という技を駆使し、水着を脱ぐことなくパンツをはく技を持っていたのである。このダブルパンツが一体どのような動きをする技なのかは覚えていないが、この言葉だけは覚えている。

 そんなこんなで中学に入ると少しずつアソコの毛が生える生徒は増えてきたが、さすがに中学1年生のプールでは「チ○毛ショー」は展開されなくなっていた。同様に地元の公立中学校に進んだAも、もはや「チ○毛野郎」とは言われなくなっていった。

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 小学生・中学生の時はなぜも異質なものを排除するのか。しかも、自分だって同じ境遇になるというのに。学校でうんこをする生徒は「うんこマン」と呼ばれて囃し立てられることについては以前書いたが、誰もがうんこはするものである。それなのに、特別扱いをし、「学校でうんこをするのは恥ずべき行為」とする。そして、アソコの毛についても中学生3年生にでもなればほぼ全員に生えてくる。

 それなのに、アソコの毛が生えた生徒が圧倒的少数派の時は囃し立て、数年後に自分にも生えてきた場合は、アソコの毛が嘲笑の対象だった時代があったことをなかったことにする。いや、むしろ今度はアソコの毛が生えていない同級生を嘲笑するようになる。

 こうした子供時代を経た人々もいつしか銭湯では素っ裸でも平気になるし、職場でうんこをしている姿が明らかになっても平然とする。理由は皆が成熟し、アソコの毛が生えるのも、いつの時間だろうがうんこをするのも当たり前になるからだ。

 そこを理解しないものだから小学校や中学校では無駄な”いじめ”が発生する。実に嘆かわしい。小学校の先生には「みんな、学校でうんこしよう!」と「みんな、アソコの毛が生えるのは普通だよ!」みたいな教育を当時はしていただきたかったものである。さすれば無駄に傷つく生徒を生まないで済んだのだから。(文◎中川淳一郎 連載『俺の昭和史』)