虫の知らせ 「今日は何か変だ…帰った方がよさそうな気がする」|川奈まり子の奇譚蒐集二二

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あまりメジャーではない四字熟語に『炊臼之夢』というのがあって、どんな意味かというと妻と死別することのたとえで、元となった故事が『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』という唐王朝時代の中国の怪異録に載っている。
幸い東洋文庫から日本語訳の新書が2巻組で出ているので確かめてみたところ、2巻の「巻八 20 夢」という章に件の話があった。
小題は「占い師の徐道昇の話」。

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臼で炊く夢を見た旅商人が夢解き(夢占い)のもとを訪ねて夢の意味を問うと、夢解き曰く「お帰りになると奥さまはおられません」。臼で炊いたのは釜が無いからで、釜は中国語で同音の「婦」つまり夫人に通じるのだという。その後、旅商人が帰宅すると、果たして妻は本当に亡くなっていた――。

臼で煮炊きをするといった意味不明な夢は、妻の死という不吉を暗示する虫の知らせだったのだ。虫の知らせという言葉は、親しい人の死や災難など良くない出来事が起こりそうだと感じたときに用いられる。

不吉な予感や予兆を知らせるこの虫は、道教の「三尸(さんし)の虫」に由来すると言われている。
人間の体内には三尸の虫、すなわち、上尸・中尸・下尸という三匹の虫が棲んでいて、これが60日に1回巡ってくる庚申(かのえさる)の晩になると体内から抜け出て天帝(閻魔大王)のもとへ行き、宿主たる人物の悪行を告げ口すると昔は信じられていた。

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そんな馬鹿なと思ってしまうが、私の祖父母の代にあたる明治大正生まれの人々の少なからずがこの信仰に基づいた庚申待(こうしんまち)の習慣を憶えていたものだし、今でも全国各地の庚申塔に庚申待の名残を見ることができる。

庚申の夜に村人が集まって徹夜をするのが庚申待。平安時代から近代まで続いた風習で、これを18回続けると建立したのが庚申塔なのだ。

庚申待をしないと日頃の悪い行いを閻魔様に告げられて地獄に堕ちてしまうから、みんなその日は眠らないように歌ったり太鼓を叩いたりお茶を飲んだりして夜明かししたという。こんな宴会のだしに使われた節もあるのではないかと疑わしい三尸の虫以外にも、江戸時代にはさまざまな虫の存在が信じられていたそうだ。

たとえば「応声虫」。腹の中で声を発する虫で、薬を飲もうとすると「効かないから飲むな」と警告する。さらに有名なのは「疳(かん)の虫」。子どもの死因第二位が疳の虫だったと江戸期のある過去帳に載っていたそうだ。こういう虫たちが江戸時代にはゆるキャラめいた姿形のもとして図解までされ、実在すると信じられていた(※)

――虫の知らせの虫も、そのうちのひとつ。

先日、インタビューした人たちが続けて4人も虫の知らせに類する体験談を語るという、それこそ何かの虫の知らせなんじゃないかと思いたくなるような出来事があった。

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※長谷川雅雄『「腹の虫」の研究 日本の心身観をさぐる』
(南山大学学術叢書/名古屋大学出版会)より