大学に行く必要性を改めて考えてみるべきでは 大学は現代をサバイブする武器ではなくなった

むしろ、職人や専門学校を目指す方がこれからの少子高齢化の時代は自分を守れるのでは、と他人事ながら感じてしまう。現在の40~50代の親は「せめて大学までは行かせてあげたい」と思う場合が多いだろうが、その配慮が実は余計だったのでは? というのはあと10年もすれば分かるだろう。

さて、平成初期の大学に関連し、印象深いのが女子大生が文句を言っていたことである。これは同級生の以下の発言に現れている。

「大学に入ればチヤホヤされると思ったのに、まったくされず、しかも、今は女子高生がチヤホヤされていて損した」

これは一体なにかといえば、1980年代の「女子大生ブーム」に乗れなかったことへの文句だ。川島なお美や宮崎美子に代表されるが、1983年の「オールナイトフジ」(フジテレビ系)や、各種ファッション誌に女子大生が登場し、チヤホヤされた。そして「アッシー君(送り迎えをしてくれるだけの男)」やら「メッシー君(メシをおごってくれるだけの男)」をはべらし、女王然とできるというイメージが女子大生に対してはあった。

しかし、実際私が1993年に大学に入ってみると完全にバブルは崩壊し、そんな文化は終わっていた。その代わり世の中は「女子高生ブーム」だった。彼女達のルーズソックスや厚底サンダルなどがメディアから多数取り上げられ、その斬新なファッションが注目された。さらにマーケティング業界は、「ブームの発端は女子高生から」などと何かと女子高生に謝礼を払ってトレンドのヒアリング座談会をするなどしていたのである。

そんな状況だからこそ、我々世代の女子大生の一部は当時モヤモヤした感覚を抱いていた。今、「女子大生ブーム」も「女子高生ブーム」もなく、あくまでも「書評TikToker」や「勉強を教えてくれるYouTuber」など、単なる属性ではなく「才能+自ら切り拓いた属性」で評価される時代になったのは平成の時代よりもよっぽど健全だと個人的には感じている。一方で漫然と大学に行く意味があるのか? も今後は問われていくことになるだろう。何しろ「パティシエの専門学校」がリモートで全部完結できるワケがなく、彼らは対面・実地にこだわっているのだから。

将来的には総合大学の学生が負けるかもしれない。(文@中川淳一郎 連載「俺の平成史」)

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