引退・吉田拓郎 「野外フェスはこの人が日本で最初だったのでは」後輩ミュージシャンが語る伝説の数々
KinKi Kidsの堂本光一、堂本剛、あいみょん等にも多大な影響を与え、日本の音楽シーンを牽引したシンガーソングライターで音楽プロデューサーの吉田拓郎(76)が7月21日放送の音楽特番『LOVE LOVEあいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』(フジテレビ系)の出演を最後に引退しました。1970年に「イメージの詩」で歌手デビューして以来、52年間の音楽活動に終止符を打ちました。
番組を始めた頃には、吉田拓郎のことをあまり知らなかったことをKinKi Kidsは、「ミュージックフェア」(フジテレビ)で暴露していました。そんな吉田拓郎をデビュー前から知る後輩アーティストに話をうかがいました。
1974年に吉田拓郎の全国ツアーのバックバンドとして、「愛奴」というバンドで帯同したキーボード、ボーカルの劉哲志(当時は山崎貴生名義)は、こう回想しました。
「ツアーに入る前に、よく新宿の御苑スタジオでリハーサルをしていました。リハーサルが終わると、よく原宿の『ペニーレイン』というお店に連れて行って頂きました。当時、拓郎さんの曲『ペニーレインでバーボンを』がブームになっていましたが、まさに『ペニーレインでバーボンを』を地で行っていました。『かぐや姫』『風』の伊勢正三(正やん)、『ガロ』の大野真澄さん、『猫』の常富喜雄さんや、いろんなミュージシャン達がよく集まっていました」
吉田拓郎の魅力については、こう話します。
「拓郎さんは、とにかくバイタリティあふれていました。拓郎さんがいるとパッと明るく、皆んなを惹きつける魅力的な人でした。会場から会場への移動ばかりのツアー続きで、ほとんどスケジュールはいっぱいなのに、いつ数々の名曲を作っていたのか不思議に思ったことがあります」
天才は時間の使い方が上手いのでしょうか。隙間時間にヒット曲も誕生したようです。
「ツアー中に打ち上げで拓郎さんとスタッフさんとバンドメンバーで飲んでいたら、マネージャーの渋谷さんが、電話に呼び出されました。『襟裳岬』(森進一歌唱、吉田拓郎作曲)がレコード大賞に内定したという朗報が入ったのです」
携帯電話が普及する前は、出先の電話番号を伝えて、呼び出しということもありました。実は、『愛奴』のドラマーは、後にシンガーソングライターとして大ヒットした浜田省吾でした。