問題作「REVOLUTION+1」は何を訴えようとしているのか 安倍元総理銃撃犯を描いた足立正生監督とは

足立正生監督は何を訴えようとしているのか。

9月27日の安倍晋三元首相の国葬を控えて、一本の映画が制作されている。『REVOLUTION+1』(監督・足立正生)だ。安倍元首相を暗殺した山上徹也容疑者を描くこの映画は、8月末にクランクイン、早くもマスコミ向けラッシュ上映を終え、国葬前日の26日から、先行上映されるという。

監督の足立はピンク映画監督として多数の作品を制作。その時代、足立監督が活動の拠点としたのが、盟友・若松孝二が設立した若松プロダクションであった。いまだ伝説の映画監督として評価される若松は宮城県に生まれ、農業高校を中退して上京。一時は、やくざになり逮捕・収監を経験。デビュー作『甘い罠(1963年)』では、警官殺しを描き「警官を殺すために映画監督になった」と豪語した。そんな若松と、日大芸術学部出身の足立という奇妙な組み合わせの周りには、野心を抱えた奇人変人の若者たちが集まった。

足立の人生の転機は、1971年。若松とパレスチナで撮影したフィルムを編集し『赤軍‐PFLP 世界戦争宣言』という映画を制作、そのための上映組織として「世界革命戦線情報センター」を設立。その後、足立は1973年7月のドバイ日航機ハイジャック事件の際、犯人側から要請を受けたとしてパリで記者会見。1974年1月のシンガポール・シェル石油爆破事件ではセンター名義で「1・31シェル製油所爆破闘争万歳!」というビラを撒き、映画のタイトル通りに「日本赤軍とパレスチナ解放人民戦線を結ぶ過激派の支援者」として公安筋からマークされるに至った。

その後1974年に出国した足立は、重信房子率いる日本赤軍に合流。主にスポークスマンとして活動した。以降、1997年にレバノンで逮捕・収監。2000年に日本に強制送還されるまで、足立は「国際テロリスト」として新聞に名前が報じられる人物だった。当時の新聞記事をひとつ紹介してみよう。

「日本赤軍の幹部、欧州で暗躍 パレスチナゲリラに高性能爆発物を流す

日本赤軍の幹部で暴力行為容疑で指名手配されている元日大生、足立正生容疑者(50)が、偽造旅券を使って欧州諸国への出入りを繰り返し、昨年11月にはハンガリー国内でパレスチナゲリラ組織「PFLP-GC」(パレスチナ解放人民戦線総司令部派)のメンバーと接触、爆発物を手渡していたことが、4 日までに警察庁など公安当局が入手した情報で確認された。」(『読売新聞』1990年3月5日付朝刊)

そんな組織のメンバーだった監督の作品だけに、SNSでは公開前から「テロリストを賛美する内容なのか」という声もある。

内容もさることながら、関心が集まるのは圧倒的なスピード感。筆者は、駆け出しの風俗ライター時代に、日本に強制送還され、裁判を経て釈放された直後の足立にインタビューして以来、意気投合(1997年にレバノンで逮捕・収監の後に日本で起訴。旅券法違反で懲役2年・執行猶予4年の判決)。

そんな足立が山上容疑者の映画の準備をしていると、ある情報筋から聞いたのは7月下旬のことだった。
急遽、新宿の喫茶店で足立と会うことになり出向くと、スタッフとロケハン後の打ち合わせの真っ最中。国葬にぶつけて上映するために、8月末にクランクインするというので驚いた。足立は「若松プロでは1ヶ月くらいで映画をつくっていた」といい、即座に筆者に現場取材を許すと、こういった。

「よし、それを飲んだら帰れ。オレはまだ打ち合わせがある」