アントニオ猪木さんが触れられたくなかった話 「シルクロード1991」とは? 世界をまたにかけた天才プロレスラーのサイドストーリー
10月1日午前7時40分、アントニオ猪木さんが心不全のため、東京都港区の自宅で死去した。79歳だった。数年前から心アミロイドーシスという難病に侵されていた猪木さん。衰弱しきった自身の姿を包み隠さずYouTubeで公表し続けた。病気という最強の敵から逃げず戦い続ける姿に多くの人々に勇気を与えたのではないだろうか。
アラフィフの僕にとって、猪木さんは、強さの象徴のような存在だった。幼少期から憧れ続け背中を追い続けたヒーローだった。毎週金曜日の夜8時からワールドプロレスリングはもちろん見ていた。小学校や中学校の教室ではプロレスごっこが流行り、コブラツイストや卍固めを掛け合ったり。
あのころの男子はみんな猪木になりきり、「1、2、3、ダァーッ!」と雄叫びを上げたものだ。猪木さんは、強さだけでなく、常人離れした情熱、そして破天荒な行動力を持ち合わせていた。数々の事業に手をのばしては失敗し巨額の負債を抱えたり、参議院選挙に打って出て当選、プロレスラー初の国会議員になったりした。
その行動は日本に留まらす活動はワールドワイド。しかもそれは、プロレスや格闘技以外の世界で発揮された。1990年の湾岸戦争では、自らイラクに乗り込み、首都バグダッドで「スポーツと平和の祭典」を挙行、在留日本人と人質を解放することに成功した。また北朝鮮やキューバにも足を伸ばし、独裁政権の中枢の人たちと独自の人間関係を築いたりもした。