幻の本になってしまうのか ヘイト本?回収騒動 『中野正彦の昭和九十二年』問題を考える

ネタバレするので詳細は書きませんが、この問題に関しては

1・作者が差別主義者なのか
2・差別主義者である登場人物を作者が描写しているのか

この二点に絞られると思います。

差別主義者が書いた本を回収するのなら、まだ分かりますが「差別主義者の心情を描いた」という事ならそれは表現の自由であり言論の自由です。

実際に答えは「2」です。本書は小説らしい仕掛けが施されており、前半から中半の酷い差別表現は、実は作者の狙いはヘイト言論を批判しているのだ、と読み進めていくうちに気づくはずです。

なので、ノンフィクション畑の僕が言うのもおこがましいですが小説として成立していると考えています。

で、あるならなぜ回収という出版社にとっては一大事にイーストプレスは踏み切ったのでしょう。第一に考えられるのは(というかこれが一番の理由だと思います)登場人物が全員実名であるという点です。安倍晋三元首相を初め、政治家は全員実名。文化人、評論家、ジャーナリストも実名。一部、ネット右翼とされる著名病院長は仮名であること以外、全員実名です。

なので、版元としては名誉棄損などを考慮したのかとまずは、考えます。そう捉えるとイーストプレス社長の「お詫びと訂正」の文も「差別」「ヘイト」「表現」などいった文言が一つも入っていなかった事に善し悪しは別にして理解がいくのです。

差別かどうか。これも確かに問題となるかも知れません。ただ、これは版元が「出す」と決意したのなら「小説として成立している」「表現の自由内である」そして「差別本ではない」という事を仮に抗議が来たら根気よく説得していくのが発行権と編集権を持つ版元の役割だと思うのです。これは前述の通りです。

が、イーストプレ側は「出すと決意」をしていないという旨を公式サイトにアップしました。少し引用してみると

「今回刊行に至るプロセスにおいて社内で確認すべき法的見解の精査や社の最終判断を得ることを行っておりませんでした。」(イーストプレス公式サイト「お詫びと訂正より」)

「法的見解の精査」とはこれが名誉棄損などで提訴された時、法的にどうなるのかを発売する前に弁護士に相談などして、OKが出なかったと本稿では解釈します。その後に続く文章で、

「同時に刊行時においても契約書の締結が終了しておらず、刊行における責任の所在が曖昧だということが発覚しましたので、社内協議の上、回収対応といたしました。」

は、抗議や裁判沙汰になった時、著作者である樋口氏が原告になるのか、編集権と発行権を持つイーストブレスが裁判費用を持つのか等といったことの合意がなされていなかったという風に読み取れます。

ヘイトかそうでないかと言う問題ではない旨を版元では「公式に」発表しているので、これを素直に解釈すればこうなるでしょう。
この本が差別本か否か。これはもう本稿で結論を出している通り「否」です。それを発行するのかは発行権を持つ版元の判断です。また、この本に書かれた文章の所有権は著作者の樋口氏にあります。なので、別の版元から出版も出来る訳ですが、それを待つのは作者にとっても読者(特に樋口ファン)にとっても酷なような気がします。(文@久田将義)