荒井発言に端を発した「オフレコ」問題 メディアは何のために存在するのか│プチ鹿島
まず酒場等でここだけの話とはいえ酷い差別発言をしたら一般の場面でも人物を疑われる。もっと他でも考えてみよう。よくトークライブで「ここからはノーツイートでお願いします」という場面があります。その代わりとっておきの話をしますよという合図だ。実際にそうするとお客さんはノーツイートにしてくれる(私の経験では)。観客側からすればお金を払っているのにとっておきの話をわざわざ無料公開するのは損。だから双方にとってメリットがある。
しかし、もしノーツイートと言われたライブで演者が酷い差別発言を次々に放ったら?平気な顔をしていたら?観客からすれば「何でこんな奴がステージに」と思うのは当然だろう。ノーツイートとかいう問題ではなくなる。今回はましてや政権中枢にいる人だ。政策立案に関わり、首相のスピーチも書いていた。こういう人権意識を持ってる人がいることを知らせるのは報道であり公益にかなうのでは?私はそう思いました。
そもそもは岸田首相が国会で同性婚の法制化について問われて「社会が変わってしまう」と答弁したことから始まった。荒井氏はあの場で首相答弁の意図を解説していたのだ。首相答弁はアドリブだったというが、それなら真意について記者の皆さんには「聞く力」をさらに発揮してもらいたいと思います。(文@プチ鹿島 連載「余計な下世話」)