隣席のファンが号泣していました 乃木坂46卒業コンサート・齋藤飛鳥 「最後の挨拶」を考えてみた

コンサートも後半になるにつれ、時間も9時近くになっていきます。隣の女性ファンが「斎藤飛鳥」と描かれたタオルを何回も顔に持っていきます。最初は気にならなかったのですが、泣いているのだなと気づきました。

印象に残っている言葉があります。斎藤飛鳥さんは「もう皆さんにはアイドルとして会えなくなるけど」。数度、こういった意味合いの言葉を言いました。それは前述したように「乃木坂46という青春」を悔いなく駆け抜けていったのだから言える言葉なんだな、と思います。

また「もうアイドルのようにふるまわなくなるけど」。こういった言葉も発していたようなに思います。素敵な言葉ではありませんか。潔い言葉ではありませんか。儚い言葉ではありませんか。まるで、キレイに散る事で日本人の心をつかむ桜の花のようでした。

隣席のファン(両隣)の女性は既に号泣していました。何度かアイドルの卒コンは取材しているのですが、このような光景は初めてでした。

「斎藤飛鳥は俺の嫁!」。このコールが一時、流行った事がありました。あるいは「飛鳥!」というコールに「俺の」を入れて「俺の飛鳥!」というものもありました。ファンの中では、「俺の」は要らないという意見もあります。
が、これはファン個人個人の意識に任せるほかないでしょう。ファンでない人はきもいと思われるかも知れませんが、アイドルとファンとの間の共有されている言語であり、ファンとの信頼関係の間での共通言語です。

齋藤飛鳥さんは絶対エースであり「正統派アイドル」でした。これからは女優・タレントとしてセカンドキャリアを踏み出していきます。

そして一人の女性として。女性として恋もして、そして結婚もするかも知れません。なので斎藤飛鳥さんはアンコール後、ステージ上からファンへの最後のメッセージ。「これからは恋をするかもしれませんね! 俺の嫁になるかも知れませんね!」と投げかけました。ファンは笑いも交えつつ「ええー!?」と叫び、拍手で送り出します。

各メディアはこの描写で記事を終えていましたが、実はこの後も続きがありました。

退場後、さらなる「飛鳥!」コールが起きていたのです。もうアナウンスは「本日のステージは終了しました」と会場で流れているのです。しかし止むことのない「飛鳥コール」。

これに応えて斎藤飛鳥さんがまさかの再登場。

「皆さん、遅くならないうちに帰ってください。有難うございました」という大人の対応。年も性別も関係ありません。こういった対応をできる女性を「人として」リスペクトしています。アイドルの去り際でこんな印象に残る人は寡聞にして知りません。そして「ジコチューで行こう!」はまだ脳内でパワープレイされています。(文@久田将義 写真@乃木坂46LLC)