「明日、ママがいない」騒動に便乗した熊本市長発言への違和感
「いじめを助長する!」「自殺者が出たらどうするのか!?」といったクレームにより、存亡の危機に立たされている日本テレビのドラマ『明日、ママがいない』だが、遂にはすべてのスポンサーが降りるという非常事態に陥ってしまった。
このドラマは芦田愛菜主演で児童養護施設が舞台となっており、作中に出てくる 「お前らはペットショップの動物達と同じだ!」といった刺激的過ぎる台詞や、子供たちに付けられる 「ポスト」などのニックネームが問題となり、いわゆる「赤ちゃんポスト」の元ネタになった慈恵病院や全国児童養護施設協議会らから「人権侵害だ!」と猛抗議を受けていた。
また今月22日には、慈恵病院がある熊本市の市長が定例会見の中で 「児童養護施設に対する誤解を与えかねない。少女が『ポスト』と呼ばれる必然性がない。現実離れした表現が多い」などと発言している。
さて、人権の守護者たる団体様におかれましてはお勤めご苦労様でございますと言うほかないが、先に挙げた熊本市長の言葉にはいささか疑問を感じる。立場的に「どうしてもそう言わねばならない理由」があったのだろうが、「現実離れした表現が多いから問題だ」というのは見当外れだろう。
では市長様が納得するような「超リアルな描写」をしなければならないとなれば、これまでに起きた数々の「施設職員による陰湿な事件」が事細かに描写されるだけのドラマと化してしまうが、そんな内容を求めていらっしゃるのだろうか? 当然そういう話ではないだろうから、次に出る言葉は「不謹慎だ! 子供が犠牲に! そういうテーマを扱うこと自体が悪い!」であろう。
施設職員が知的障害を持つ女児に対して常習的に性的暴行を加えていたという事件に関しては、いしだ壱成・広末涼子らが出演したドラマ『聖者の行進』で描写され、これも明日ママと同じ野島伸司氏が脚本担当だった。この作品にも今回同様クレームが相次ぎ、スポンサーの三共が降りるという騒動があったが、今では「施設」という密室で起きた現実を一般市民が知るキッカケにもなったと一定の評価を得ている。
このようなテーマのドラマを制作する際は、さすがに個人が特定できるようなシナリオには出来ないのでフィクションにするより他に表現方法がないし、またあまりに生々しくし過ぎると視聴者が集められないからファンタジー要素を盛り込む必要がある。今回はまさに現在進行形の話題だったためクレームも大きかったように思うが、「この方法」ならばその他の連続殺人犯や社会問題をテーマにした作品すら社会から抹殺できてしまう。果たしてそれが健全な世の中といえるだろうか? フォアグラ弁当も売れず、社会問題や事件がテーマの創作物も許されないとは、あまりに異常すぎると感じないか? ようは、野島作品のような内容のドラマや創作物が生まれた際に、それをどう問題解決に活かすかという頭の使い方をすべきではないのだろうか?
そもそもの話になるが「こういうドラマがあるから○○だ」「こんなマンガがあるから××だ」という意見は表現規制や言論封殺に直結する。 現実社会でモチーフとされるような事件・事故があったからその描写が産まれたのだ。そのような社会風刺すら許されない社会とは、一体どんな全体主義社会なのだろうか? もはやそれは民主主義国家の有り様ではない。
こうしたドラマ(ないしは報道) のせいでイジメや何らかの問題が起きるというならば、もっと具体的に言うと「子供が犠牲になる」というならば、そうならないような人間教育を施そうという考え方をするより他にないだろう。今の世の中生きていればいくらでも辛いことや不条理な事が襲い掛かってくるのだから、それをゼロにするなどという理想論よりも、困難・苦難にぶち当たっても折れない子供を育てる方がよっぽど現実的だし、確実に子供を救える。「悪口を言われたら子供が犠牲になる!」と考えるのは大間違いで、それは子供の身になって物を考えられない人間の言い分だ。じゃあお前は子供時代に一度も酷い悪口を浴びた事がないのかと問いたい。もし悪口を言われて悲しかった記憶があるならば、ついでに「その時にどうやって立ち直ったのか?」も思い出し、それを子供に教えてあげて欲しい。それこそが「子供を救う方法」 だ。 マイナスの情報を消すのではなく、マイナスの情報に触れてしまった子供に対し、それ以上にプラスの情報を与えろ。それが人間教育のあり方ではないのか?
「悪口の結果として子供が逃げ場のない場所に追い込まれた場合」に、初めて「子供が犠牲になった」と言える。 逃げ場さえあれば、子供は子供なりに自分で立ち振舞いを考えるだろう。その積み重ねで少しずつ強い人間に成長して行くのだから、そうした機会を奪う事の方が将来的に 「確実に子供が犠牲になる」のではないのか?
いっそ明日ママを題材に人権教育でもしてはいかがだろう? このドラマがあろうとなかろうと、元ネタの殆どは実際に起きた事件等であり、そこからインスパイアされたものなのだから、このドラマの存在を消せば解決するという事ではなかろう。逆に創作物にそのような登場の仕方をするような汚点を残した自分達ないしは自分達が所属する業界を恥じるべきで、間違っても「過去の話だから」で済ませるべきではない。 事実は事実なのだから、それをモチーフに創作物を作られても致し方ないだろう。
また、連続ドラマに対して序盤の1~2話を見ただけで放送中止を求めるという姿勢自体にも問題がある。こういったドラマを批判したいのであれば、まずは全話通して見てみて、その結果批判すべき内容か否かを判断すべきだ。このような方法論がまかり通ると、ドラマに限らず日本から「連載」という形式が消えてしまう事にも繋がる。起承転結を完全な形で盛り込んだ1話完結のドラマ・マンガ・アニメしか流せないような息苦しい国などまっぴらだ。
最後に、これは蛇足中の蛇足だとは思うが、今回の一件でスポンサーが降りた件について、放送中止にするのではなく、新しい方法でCM枠を埋めてみてはどうか? 専門分野ではないので法的に可能かどうか解らないが、それこそ家入氏の供託金クラウドファンディングのように、このドラマを流すべきと考える個人からお金を集める方法を考えて欲しい。「子供を守れ!」と正義漢ぶる連中が気に入らないのであれば、逆の立場から「子供を守るためにも、こういう問題を広く認知させるべきだ!」と、違う正義をぶつけるよりないだろう。
弱い立場の子供、様々な犯罪のターゲットになってしまう子供の立場から考えると、本当にマズイのは子供自身が「犯罪に巻き込まれている」「助かる手段がある」という事を知らぬままになってしまう事である。少なくとも、この手のドラマは描き方さえ間違えなければ、そのような立場に陷る可能性のある子供が「自発的に知るキッカケ」になり得る。それを潰す事が、本当に子供を守る事になるのか、今一度よく考えてみて欲しい。(これを判断するためにも、やはりまずは全編通して見ろという結論になる)
それにしても、この程度のドラマすら許容できない社会って、どれだけ精神が貧弱なのだろう? またそれを招いているのは一体誰なのだろう?
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Written by 荒井禎雄
Photo by 「明日、ママがいない」公式サイトより
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