綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件現場を発生直後から何度も歩いて… |八木澤高明

2018年8月19日の夕方、埼玉県川口市の路上で、32歳の男性の肩を警棒で殴り、首をナイフで刺したとして45歳の男が殺人未遂の容疑で逮捕された。男の名前は湊伸治。

逮捕されたその男は、1988年東京都足立区で起きた『女子高生コンクリート詰め殺人事件』の犯人のひとりで、事件現場となった家に暮らしていたのだった。

参考記事「綾瀬女子高生コンクリ殺人事件」の犯行グループのメンバーが殺人未遂!  | TABLO

コンクリート殺人の概要を簡単に伝えておこう。アルバイトを終え自転車で帰宅途中だった女子高生のFさんを少年ら4人が拉致し強姦したうえ、溜まり場であった少年Cこと湊の自宅二階に監禁。その後40日間にわたって、集団で強姦および暴行、さらには食事すら満足にあたえなかった。

驚くことに家には湊の両親が暮らしていた。両親は一度Fさんと顔を合わしていることから、少年たちの悪行に気がついていた筈だが、何も助けの手を差し伸べることはなかった。
この一家の親子関係にも衝撃を受けた人も少なくないだろう。虐待を受け続けたFさんは、たび重なる暴行と栄養失調により衰弱し、亡くなった。
少年らはドラム缶に遺体を入れ、コンクリートを流し込んで密閉し、東京都江東区の埋め立て地に遺棄したのだった。史上最悪といってもいい少年犯罪である。

湊はコンクリート殺人により、実刑判決を受けた後、社会復帰していたが、更生することなく、事件を起こしたのだった。

逮捕された他の少年たちもすでに全員が刑期を終えて出所している。少年Bこと神作譲は出所後、「俺の女を取っただろう」と男性に因縁をつけて、母親が経営していたスナックに監禁し、逮捕監禁致傷で再び逮捕され、2005年に懲役4年の判決を受けている。主犯格の少年Aは2009年に出所したが、その後振り込め詐欺の容疑で逮捕されている。結局4人のうち3人が再び逮捕されるという事態を引き起こしているのだった。

関連記事「元少年」が再犯裁判中に悪態で騒然! 綾瀬女子高生コンクリ殺人犯は更生していなかった


事件現場(筆者撮影)

事件の現場となった足立区綾瀬を私は幾度となく歩いている。綾瀬駅で降り、現場となった家へと向かう。近年、綾瀬駅周辺は千代田線が直接大手町方面へ乗り入れていることもあり、子育て世代には、人気のある住宅地となっているという。事件が起きたのは今から30年ほど前のことだから、家を求める世代からしてみれば、過去の事件に引きずられる気持ちは希薄になっているのかもしれない。

パチコン屋が目につく駅前の商業地域を抜けると、すぐに街の風景は住宅街となる。すると突然視界にラブホテルが現れ、その横には子どもたちが遊ぶ公園がある。あまりにアンバランスな景色に何ともいえぬ気持ちになる。

ここ綾瀬周辺は、高度経済成長期に入るまでは、水田地帯だった。宅地となる前に東京の外縁部にあたるこの辺りにはラブホテルが建ち、その後宅地化されたのだろう。それにより、一見すると野放図な景色が生まれた。

駅から、15分ほど歩いただろうか、湊の家があった住宅街の一角に出た。すぐ前には公園がある。家は事件後取り壊されているが、区画は当時のままである。

駅からここまで歩いてくる間、子供連れの若い女性が目についた。彼女たちの年齢は30代から40代だろう。事件のことは知っているに違いないが、どんな思いを抱いているのだろうか。

湊の家は建て直されていると先に書いたが、事件当時、彼らが玄関を使わず直接二階から出入りするために使っていた電柱は、いまも家に寄り添うように残っていた。

昭和47年にこの地へと引っ越してきた湊の一家。ちょうど湊が生まれた年のことである。共産党員だった両親は躾も厳しかったというのが、いつしか湊は道を外れていった。

それにしてもなんであんな事件を起こしたのか。近隣住民に取材をしていくと、1979年に北綾瀬駅が営業をはじめるまで、あたりは飯場があって荒れた人間も少なくなく、お世辞にも落ち着いた環境ではなかったという。殺伐とした空気というものが、事件の下地になっていたのだろうか。

事件から、今年で31年。コンクリート事件の現場周辺は、少しずつ風化が進み、彼らが遺体を遺棄した埋立地の周辺も家族連れが集まる海浜公園となっている。ただ、事件を犯した人間たちに宿った業はそう易々と消え去ることはない。(取材・文◎八木澤高明)