昭和の漫画から生まれたネット用語 「ギギキ」「くやしいのう」「げえっ関羽」が味わい深い|中川淳一郎
『はだしのゲン』中沢啓治著より
2013年、市民からの要望を受け、島根県松江市の学校図書館で漫画『はだしのゲン』(中澤啓治・著)の閲覧制限がかけられ、全国的な話題となった。市民が主張したことは、「間違った歴史認識を与える」「自虐史観が強い」といったものがあったようだ。
確かに、『はだしのゲン』は現在の30~50代の人間の戦争観に大きな影響を与えた。同作でしばし描かれるのは「反天皇」「反米」「傲慢な日本軍」だが、これに我慢ならない人にとっては許し難い作品なのだろう。そして、彼らからすれば「こんな洗脳漫画を読んだら純真な子供達が反日思想に染まってしまう」などと考えたのかもしれない。
そうはならないと思うし、昭和の時代、図書館にある漫画として『はだしのゲン』そして横山光輝の『三国志』は小学生にとっては貴重な存在だった。『はだしのゲン』と丸木俊・著の『ひろしまのピカ』は、原爆のもたらす地獄絵図の恐怖は子供達の心に「戦争はイヤだな」と思わせる効果はなんだかんだ言ってあったと思う。
私はアメリカで中高を過ごしてきたが、何しろアメリカという国は戦争に負けたことがない。湾岸戦争の時も「U.S.A.!」と大騒ぎし、「サダム・フセインをぶっ殺せ!」のような威勢の良い話だらけだった。しかも「核を落としちゃえ!」などと言う高校生もいる始末である。「ちょっとちょっと待った待った……」という気持ちは『はだしのゲン』や『ひろしまのピカ』を読んだ者にとっては抱けるが、何しろ彼らはその体験がない。あくまでも、evil(悪魔)を正義の愛国者たる米軍が叩き潰すに決まっているという、リアルアメコミの世界を期待している感覚があった。
じゃあ、果たして『はだしのゲン』が反天皇と反米、反日本軍ばかりを植え付ける漫画だったかといえば、別の見方もあるだろう。私の場合、とにかく「メシがうまそう」という点が印象に残ったのだ。
おにぎりの配給があった時、孤児達は家族が多数いると申告し、大量のおにぎりを獲得する。それを実に孤児達はウマそうに食べる。あとは、広島城の堀でゲンらが川エビを取ろうとするが、その時にゲンはエビを採るコツとして「エビは後に逃げるんじゃ」と言う。そしてこのエビを貪り食うシーンも印象深い。
作品の見方は人それぞれで良いのだ。自分にとっては許し難い作品だからと、図書館からの撤去を求めるのは行き過ぎだろう。
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ギギギ、くやしいのう、ジャーンジャーン、げぇっ、関羽
そして図書館漫のもう一つの巨頭たる『三国志』だが、こちらは記憶力のトレーニングになったと思う。何しろ登場人物が多過ぎるのと、あとは顔が似た者も多いため、それを見分けるのも一苦労だった。さすがに劉備、諸葛孔明、関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠、孫権、魯粛、太史慈、曹操、夏候惇、徐庶あたりを見分けるのは簡単だったが、ザコ武将の顔がとにかく覚えづらい。とはいっても、覚えない限りは先に進んでもワケが分からないため、必死に覚えたものである。
そしてこの2作品、現在のネットのヘビーユーザーである中高年世代が読んでいたものだから、やたらとネットで登場する。
【はだしのゲン】
・ギギギ(何か苦しそうな時)
・くやしいのう、くやしいのう(選挙の時など、支持政党や支持者が落選した時に反対陣営支持者が挑発する時)
・おどりゃクソ森(それ程頻出はしないものの、○森という苗字の人間を挑発する時に使うと効果的な言葉である)
他にも「シゴウしゃげたる」や「月月火火木金金」や「朴さん」も多くの人に印象に残っていることだろう。
【三国志】
こちらについては、使われる場面も様々なので、作中で登場した時の状況を記す。
・ジャーンジャーン(合戦の時の銅鑼の音)
・まて、慌てるな これは孔明の罠だ(慎重な司馬懿が述べた言葉)
・げぇっ関羽(赤壁の合戦で敗れ都へ落ち延びようとする曹操の前に関羽が登場した時の言葉)
・だまらっしゃい(諸葛孔明、劉備、張松らが使用した相手をピシャリと黙らせる言葉)
・むむむ(何か困った時に頻出する言葉)
・とてもつらい(病床にある漢の霊帝の苦しむ様子)
このように、ネットで普通に使われる言葉にまで昇華したということこそ、『はだしのゲン』『三国志』を名作たらしめる証拠となっているのでは。そういった意味ではこの両作品が小学校の図書館にあったことを個人的には感謝する。(文◎中川淳一郎 連載『俺の昭和史』)