SNS映えスポットのそばにある、恐ろしい伝統文化の痕跡 |Mr.tsubaking
今回の珍スポットはとある資料館なのですが、隣にある珍しい物好きの方にはお馴染みの建築から紹介します。Time誌の「世界でもっとも危険な建物Top10」に、日本から選出された建築。
見るからに危険そうなこの建物は「高過庵」(たかすぎあん)といい、ゲゲゲの鬼太郎の家を想起させます。2本の栗の木だけで支えられている茶室で、高さ6mの位置にあります。
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長野県茅野市にあるこの奇妙な建物、作ったのは地元出身の建築家である藤森照信氏。茶室は実際に使うこともできるようになっていますが、建物には昇降のための階段などがないため、ハシゴをかけて上り下りします。ここで茶会をした人によると、もちろん揺れるのですがグラグラとではなく「ゆわんゆわん」とゆっくりくれて全体が傾ぐような怖さがあるといいます。
高過庵の脇に見えるのは、地中に埋められた茶室の屋根で、こちらは「低過庵」(ひくすぎあん)といいます。この屋根がスライドして開き地面に潜った先に茶室がある、同じく藤森氏の作品です。
こちらもすぐ側にある「空飛ぶ泥舟」。ジブリやトーベ・ヤンソンのような世界観がSNS映えすることで、見たことがある方も多いでしょう。しかし、そうした表面的な側面だけでは捉えきれない作品です。絵画や音楽などのほかの芸術にくらべ、どうしても物理原則に縛られざるを得ない建築というコンテンツにあって、その縛りから全力で跳躍しよう、いや「空飛ぶ泥舟」ですから「飛翔」しようという意思が感じられます。それでいて、土や木材の温かみのある質感がしっかり残ったままになっているために、大地に根を張ったような印象も同時に受ける建築です。
パッと見の印象から、アバンギャルドで若い建築家の作品のようにも感じるかもしれませんが、藤森氏は、東京大学名誉教授であったり江戸東京博物館館長などの権威ある建築家です。
前置きが長くなりましたが、これらを作った藤森照信氏のデビュー作が今回の本題「神長官守矢資料館」です。
この地域は諏訪大社の信仰が篤い場所で、屋根から突き出た4本の柱は諏訪大社の御神木を表しています。緩やかで長い傾斜の屋根は藤森建築の特徴なのですが、諏訪神社の息吹を感じるこの場所でみると、諏訪大社の有名な神事「御柱際」の斜面が想起されます。
ここまで建築の話をして来ましたが、ここからが本題の本題、資料館に展示された衝撃的な信仰の話です。
諏訪大社は日本最古の神社であり、そのルーツは、まだ日本に宗教という概念が根付く前から存在します。当時この地域に暮らした人々には「神」という捉え方さえなく「タマ」と言われた精霊のような存在を信仰(というより「近くに感じる生活」)をしていました。
時代が下り諏訪大社ができると、タマとともに暮らしていた人々の信仰を根底に持った神事が行われるようになりました。なかでも、春に行われる「御頭祭」は大切な神事で、一旦が神長官守矢資料館で見ることができるのですが、現代人の私たちにとってそのビジュアルが、衝撃的なのです。
御頭祭では、なんと75頭の鹿や猪の頭を切り落として神前に献げていたのです。驚くべきことに御頭祭でのこの風習は現在も続いていて、今年も4月15日に行われます(現代は、はく製で代用されています)。
あまりに古代からの伝統であるうえに、この神事を取り仕切っていた守矢氏が、何百年にもわたって秘事として一子相伝の口伝のみで伝承して来たため、鹿の頭を捧げる理由や由来はほとんど分かっていません。
耳裂け鹿。献げられた75頭の中に、必ず一頭だけ耳が裂けた鹿がいたと伝わっていますが、これも由来は不明で、諏訪大社の七不思議の一つとされています。
うさぎの串刺し。鹿や猪の他にうさぎなどの小動物もこうして神前に並べられました。海のない長野県ですが、これらとともにワカメなどの海藻も並べてあったと伝わっていて、信仰が広範囲に渡っていたか、遠い地域との交易が古い時代からあったと推測されます。
御贄柱。その名の通り、生贄をくくりつけた柱です。もっとも古い伝承では、鹿やうさぎだけではなく、ここにいきた人間の子供をくくりつけて献げたと言われていて、殺されたとも伝わっているようです。
特異な建築を写真に撮ってSNS映えさせるのもいいですが、そのすぐ側に、古代の日本人の感覚に迫る場所があることも忘れてはいけません。(Mr.tsubaking連載 『どうした!?ウォーカー』 第29回)