今やったら...パンパンやな
以前も奇天烈な昭和時代の小中学校の先生については書いたことがあるが、なんだかんだ言って、自分が子供時代に出会った大人でヘンだったのは先生というイメージ強いのでもう一回書いてみる。一応、近所の大人や親戚のおじさん、おばさんらはまともな人が多いし、ヘンテコな発言などはあまり知らないのだが、先生は今考えるとかなり面白かった。
過去記事:【小中学校の体罰】こんな体罰が確かに存在していた時代|『オレの昭和史』中川淳一郎連載・第七回
果たして今の時代、こんな先生が受け入れられるのかは分からないし、親がクレームをつけるレベルなのかもしれないが、当時(1984年~1987年)に出会った先生を振り返ってみる。
元女子プロレスラーとの噂があった女性体育教師が見事なまでに男子生徒の尾てい骨にトゥキックを食らわせたり、ヨネスケもびっくりの巨大しゃもじを持ち、壁際に一列に並ばせた生徒の尻を次々と叩いていくことは以前述べた。
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他にも印象に残る教師は大勢いるが、歴史の教師は印象に残っている。特に覚えているのが、同氏がコロンブスについて言及した時のことだ。アメリカ大陸を発見したのがコロンブスであることを伝える場面だったのだが、コロンブスの名前を出す際は「コロン」と平坦に言った後に「ブス!」と大声で言い、クラスでもブス扱いされていた女子生徒の方を見るのである。この様子に男子生徒は大はしゃぎ。次にコロンブスについて言及するにあたり、先生がどの女子生徒を見るかに注目するという、学習とはまったく関係ない面での注目が集まっていたのである。
先生に「お前NHKでバイトしない?」と言われた結果......
理科の教師は、どうやらムツゴロウさんこと畑正憲氏と東京大学で同学科の同級生だったようで、「ムツゴロウはヘンなヤツだった」と授業の時によく言っていた。当時、畑氏の番組はテレビでよく放送されていたため、「ムツゴロウさんと同じくらいこの先生はすごい人なんだ!」と生徒達は羨望の眼差しで見ていた。
この先生は、ビーカーの中の空気を別のビーカーに移す「水上置換」のことを説明するにあたっては、「いいか、お前ら男達、『水上置換』とはな、お前らがこれからの体育のプールの授業の時に女子を触ることを言うのではなく、れっきとした理科の用語だからな。間違えるなよ。プールの授業の時、『水上置換だぞ~』なんて言って尻やおっぱいを触らないようにな!」なんてことを言っていた。さらに、この先生の名前を仮に「佐藤一郎」ということにしよう。授業の3回に1回はこう話していた。
「この世には3人の天才がいる。一人はトーマス・エジソン、次はアルベルト・アインシュタイン、そして、3人目がこの佐藤一郎だ」
さすがにこんな妄言を信じる者はいなかったものの、いくら中学生とはいえ、さすがに愛想笑いぐらいはしてあげるほどの「空気を読む」力は各人が持っていた。
あと、数学の教師はプロレスラーの「サージェント・スローター」にそっくりなオッサンだったが、話し方が戦場ジャーナリストの渡部陽一氏にそっくりな遅さで、「ルート2はひぃとぉよぉひぃとぉよぉひぃとぉみごーろぉー」みたいな話し方をし、眠気を誘う教師だった。この教師の授業はとにかくつまらないと評判だったが、同氏が一瞬だけ輝く瞬間があった。
一次方程式には「移項」という数学用語があるが、これの説明をする時、「こうして『行こう~』と左から右に移すのです」と言った。まったくジョークを言わない教師だっただけに、さすがにこの時はクラス中大爆笑となった。これに彼は気を良くしたのか、以後「移項」について言及する時は「ここで『行こう~』とやるのです」と毎度言うようになった。無論、もはや誰も笑わない。
体育の教師でもヘンテコリンな先生がいた。元々大学の陸上部のハードル選手だったらしいのだが、週3回あった体育の授業でなんと1ヶ月、合計12回もハードルの授業をやったのである!
あのさ、オレら40人の中でハードル競技の道に進むヤツ、多分一人もいねーぞ、みたいなことを思ったものの、同氏の並々ならぬハードルの熱意に対しては生徒達も根負けし、いつしかこのハードルにかける熱血授業に感銘し、いつしか彼のあだ名は「一徹」になったのである。
他にもヘンな先生は大勢いたのだが、今でも私がまったく理解不能なのが、私が大学3年生になった時に突然自宅に電話をくれた前出・佐藤一郎先生(仮)とは別の理科の教師のM氏である。
「あのさぁ、今、NHKが放送作家の助手のバイトを求めているんだけど、お前やらないか?」
確かに姉はM氏の授業を受けたことはあるものの、なんで、授業を受けたこともない私にこんなオファーをしてくれたのか? いや、オレ、お前と喋ったことすらねーぞ! そもそもなぜ、公立中学校の理科教師がNHKと繋がっているのか? まったく理解不能だったのだが、結局私は静岡の柿田川の自然や郡上八幡の自然に関するドキュメンタリーの放送作家を務めたK氏の下でNHKまで行き何度かバイトをした。
添付の画像が、NHKから振り込まれた証明だが、その金額は3万1850円だった。う~ん、今考えても当時の先生達は怪しさ満点だった。(文◎中川淳一郎 連載『俺の昭和史』)
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