【どうなる!?】ミャンマー最大のアキレス腱"ロヒンギャ問題"は2018年が正念場か【帰還開始も不透明に】

2018年01月24日 

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rohingya01.JPGミャンマーの最大都市ヤンゴン。経済発展が加速しているが、ラカイン州を含む地方部との格差は拡大している


ミャンマーで迫害され、隣国バングラデシュに避難しているイスラム教徒少数民族ロヒンギャの帰還開始が、当初予定されていた今月23日からずれ込むことが明らかになりました。両国政府が先に、同日から帰還を開始することで合意し、向こう2年ほどで完了させる方針を示していましたが、準備不足を理由に延期した格好です。


ミャンマー国軍傘下の治安部隊は昨年8月、西部ラカイン州で、ロヒンギャ系武装集団に対する大規模な掃討作戦を開始。この事態を受け、約100万人いるとされるロヒンギャのうち、60万人超がバングラデシュに逃れました。

国軍は1月10日、掃討作戦をめぐり、治安部隊がロヒンギャ住民10人を虐殺していたことが判明したと発表。国軍がロヒンギャに対する迫害行為を正式に認めたのは初めてです。警察が昨年12月、ロヒンギャ問題を取材するロイター通信のミャンマー人記者2人を国家機密法違反で逮捕したことも問題になりました。

同国の実質的なトップであるアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相は、民族融和を最優先課題の一つに掲げているにもかかわらず、ロヒンギャ問題の解決に向け、積極的な姿勢を示していないことから、欧米を中心とする国際社会から非難の矢面に立たされています。


ロヒンギャとはそもそも、8世紀からラカイン地方に住み続け、イスラム教を信仰する民族を指します。ところが、ミャンマー政府はロヒンギャを「民族」と認めず、ベンガル地方(現在のバングラデシュ)から来た「ベンガル人」と一方的に定義。不法滞在者であるとし、国際社会にも「ロヒンギャ」という呼称を使わないよう強く求めています。

政府はロヒンギャに対し、国籍を付与しておらず、移動の自由すら許可していません。国民の約9割が仏教徒のミャンマーでは、イスラム教徒であるロヒンギャに対する差別意識や嫌悪感は根強く、迫害の対象になってきました。その結果、国軍や警察とロヒンギャ系武装集団との衝突がラカイン州で続いているのです。


ビジネスや観光業への影響も懸念


外国人関係者が懸念しているのは、ロヒンギャ問題のビジネスへの影響です。タイ紙バンコクポストによると、オーストラリア人のシーン・ターネル・ミャンマー政府経済顧問は「ロヒンギャ問題は、特に欧米企業の投資に間違いなく悪影響を及ぼす」と指摘。「投資家は、ミャンマーに対する新たな経済制裁や、ミャンマー産品に対する消費者の不買運動などを懸念している」との見方を示しています。

2011年に経済開放されたミャンマーでは、隣国の中国やタイ、それにシンガポールなどが早くから、積極的な投資活動を展開してきたほか、欧州連合(EU)や米国の経済制裁解除を受け、欧米企業の投資も活発化しています。

経済開放の象徴とも言える最大都市ヤンゴン近郊のティラワ経済特区(SEZ)は日本の官民の支援を受け、15年に開業。日本企業の進出も目覚ましく、ミャンマー日本商工会議所(JCCM)の会員企業数は昨年12月末時点で369社に達しています。

国軍とロヒンギャ系武装集団との戦闘はラカイン州の一部地域で発生しているため、ヤンゴンや第2の都市マンダレー、中部の遺跡都市バガンなどの観光業への影響は限定的とみられますが、同顧問は「ロヒンギャが住む村の焼き討ちなどを報じたニュースは、外国人観光客の減少を引き起こす」とも指摘しています。

ミャンマー政府は14年、外国人観光客誘致策の一環で、手続きを簡略化した電子ビザ(査証)制度を導入。16年にはヤンゴン国際空港の新ターミナルも完成しました。ヤンゴン中心部にはこれまでなかった現代的なショッピングモールが開業し、ホテル数も増加。外国人観光客数は順調に拡大していますが、ロヒンギャ問題は好調な観光業にも水を差しかねません。

1991年にノーベル平和賞も受賞したスー・チー氏が、政治家としての正念場を迎えています。


取材・文◎新羽七助

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