最近、米軍機による落下事故が相次いでいる。沖縄の小学校に部品が落下するという事故が話題となったが、2月下旬には、青森県の三沢基地近くで事故が発生した。2月20日午前、三沢にあるアメリカ空軍基地に所属するF16がエンジン火災を起こし、燃料タンクを近くの小川原湖に投棄したのだ。
小川原湖は国内有数のシジミの漁獲高で知られる場所で、しかも最盛期だった。たくさんのシジミ漁師が操業している中で起きた出来事。小川原湖漁協(東北町)に電話で取材を申し込むと、担当者はスラスラと慣れた様子で答えてくれた。
「当日の午前7時から小川原湖でシジミ漁をしていました。タンクが投下されたのは午前8時40分ごろ。すぐ近くに26隻がいて、一番近い船は200メートルしか離れていませんでした。今後、漁業資源の再生までにどのぐらいかかるかはわかりません。かといって米軍に『文句』をつけるよりは、まずは調査。もちろんタンクの引き揚げも早急に行っていただかないと」
『文句』という言葉に少しぎょっとした。相手は冷静を保っているが、言葉の端々に押し殺している感情がのぞく。
――漁師の皆さんは?
「もちろん、みんな怒ってますよ!」
天ヶ森地区
過去に三沢で落下事故がなかったわけではない。というか、戦後、集落を射爆場とされた市の最北部の天ヶ森地区(市の中心から車で30分あまり)は、日常的にさまざまなものが空から降ってきた。戦後、三沢はソ連との核戦争に備えて、精鋭部隊の爆撃機が、核爆弾の模擬弾の投下訓練を行う基地であったのだ。
その天ヶ森で地区長をしていた針田隆さん(79)に三沢市郊外のご自宅で話を伺った。
三沢市の中心から車で15分ほどのところにある新森という地区に新しくて大きな一軒家が並んでいる。というのも彼が地区の代表をしていたとき、集落の集団移転を訴え、それが実現したからだ。
「移転前は、家に爆弾があたるかも知れない、という恐怖がいつもつきまとっていました。そうでなくても、爆音がひどかった。食器入れがガタガタして、コップが落ちて割れることが日常茶飯事でした」
針田さんがかつて住んでいた天ヶ森集落の北部は射爆場。米軍のF16が爆弾投下訓練を日常的に行っていた。
「射爆場と集落はごちゃ混ぜでしたから。『射爆場を移転して欲しい』と三沢市にはずっと陳情していました。何度も何度も頼みましたが、らちがあきませんでした」
転機は、2001年の4月。集落から600メートルほど離れた海にF16が墜落したのだ。
「集落に当時の防衛庁長官が視察に来たんで、集落から射爆場へ続く道路を閉鎖しました。実力行使です。当時、地区長だった私は『家を貸してやるからここに暮らしてみろ!』って言ってやりました」
以後、針田さんは、射爆場移転の訴えを取り下げ、集落の集団移転を訴えるようになる。
「大事なのは何より集落の住民の命です。それで私は考えを変えました。するとそれが認められました。今の場所に集団移転したのは2006年からの数年間。今は騒音が気にならないし爆弾が落ちてくる心配もない。移転費や建てた家のローンは全て国が出したので、誰も反対する者はいませんでした」
針田隆さん(79)
針田さんは満足そうな表情で当時を振り返った。
そんな針田さんに私はずばり直撃した。
―-70年以上たっても、アメリカの基地があり、事件を起こしたり、飛行機が落下したりという事故が起こったりします。こういった現状についてどう思いますか?
「日本は戦争に負けたんです。だからアメリカの言うことを聞くしかないでしょ。私たちはずっと射爆場の移転を申し出ていましたけど、頑として受け入れてくれませんでしたからね。F16の墜落があったから、逆に集団移転が実現したんです。
今は射爆場として国に土地を貸してるのでその分の収入もあるからね、それはありがたい。ふるさとを離れてさみしいという人もいるけど、そうした気持ちよりも移転して良かったって言う気持ちの方が大きいね」
沖縄で続いている基地反対と自らの選んだ三沢での集団移転。どちらも真剣に考えた上での選択だということには変わりがない。普天間の基地移設にしても、地元の人たちの幸せが最優先されるべきだ。(文・写真◎西牟田靖)
※三沢基地をテーマにしたルポが『週刊プレイボーイ』2月26日発売号に掲載。ぜひこちらもチェックしてほしい。
http://wpb.shueisha.co.jp/2018/02/26/100279/
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