都内のあるスーパーで、カゴを持たずにキョロキョロと周りの人の様子をうかがいながら店内を歩き回っていた高野直行(仮名、裁判当時56歳)の挙動を保安員はずっと注視していました。彼は保安員に見られていることに気づかず、弁当4個とあんパンとケーキを持参した手提げバックに隠し入れて店外に出たところを保安員に声をかけられ逮捕されました。
被害品は店に還付されましたが、彼が万引きした6点の金額は合計で2628円。彼のこの時の所持金は53円でした。
「もう6日くらい何も食べてなかった。2、3日分の食料があれば...と思って盗ってしまった」
このように事件の動機を話していた彼はホームレスでした。一週間近く食べるものがないほどに困窮していましたが、役所に生活保護を申請しにいくつもりはなかったようです。
「生活保護はその時は考えてなかった。自分のプライドというか自尊心というか...まだなんとかなると思ってました。裁判が終われば、今後は生活保護を需給して生活を建て直したいと思っています」
人生は「上々」であったにもかかわらず......
ホームレスになった日の3年前まで、彼は会社の経営者でした。大学を卒業後、28歳の時に起業したコンピュータープログラムの開発を手掛ける会社は成長を続け、最盛期には180人の社員を雇い年商は300億を越えていたそうです。社長であった彼の年収も数千万円という額だったこともあるそうです。
しかし、時代の流れとともに会社の経営は傾いていきました。
「プログラムを組んでほしい、と外注で頼む会社がなくなっていきました。今の時代、プログラムを組める人なんていくらでもいるので...。もうプログラムだけでやっていくのはキツいです。最後の方は小さなゲームを作ったり、そういう仕事で食いつないでました。そういう仕事もくれたりくれなかったりで...」
結局、彼は20年以上やってきた会社をたたむことになってしまいました。それからは個人として以前の取引先や友人にプログラム関係の仕事を回してもらっていましたが、たまにしかありませんでした。
今回起訴された万引き事件の前にも彼は一度捕まっています。自転車のカゴから食べ物を盗んだ、という置き引き事件でした。この時の犯行動機もお金がなくて空腹だったことでした。
事件後、更正保護施設に入所して別の仕事を探そうとしていた彼でしたが、施設にいる人間に紹介される仕事は土木などの肉体労働ばかりでした。もちろん彼はそんな仕事は今までにしたことがありません。施設を出てから住むアパートを借りるための貯金を作ろうと、慣れない仕事でも懸命に頑張っていましたが、彼はやがて体調を崩して働けなくなってしまいました。更正保護施設にいられるのは半年だけです。アパートの初期費用をつくることができないまま、彼は施設を出ていきホームレスになりました。
空腹のためにお弁当を万引き
彼がプログラムを請け負う会社を設立したのは30年近く前のことです。当時としてはかなり先見の明があったのではないかと思います。そしておそらく経営手腕にも長けていたのでしょう、彼の会社は大きく飛躍しました。
時代の最先端を走っていた30年前の彼は予期していなかったと思います。30年後に時代から取り残されて会社を潰し、空腹のためにお弁当を万引きして捕まっているホームレスになっている自分の姿を。
彼に対して裁判官は語りかけました。
「万引きって言うと軽く聞こえちゃうけど、窃盗罪だからね。変なプライドは捨てて、困ってる時は生活保護でも何でも頼って助けてもらってね。昔は税金いっぱい払ってたんだし、もう無理しないでいいから」
在りし日の自分を想う時、一体彼はどんな表情を浮かべるでしょうか。もし当時の彼が現在の彼に会ったなら、一体どんな言葉をかけるでしょうか。
天国と地獄。人生は何が起きるかわかりません。もちろん今後の彼の人生がどうなるかもわかりませんが、ひもじい思いはもうしないでほしいものです。(取材・文◎鈴木孔明)
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