裁判傍聴をするとき、開廷前に被告人の第一印象をいつもノートにメモしています。見た目だけで被告人の人となりがわかるわけがないので特に意味はないのですが、数年間裁判の傍聴をしてきて半ば習慣のようになっています。
ノートに書かれている涌井詩織(仮名、裁判当時21歳)の第一印象は次のようなものでした。
「顔色真っ青。めちゃくちゃ細い。ガリガリ。足取りふらふら。大丈夫?」
彼女は3件の犯行で起訴されていて、そのいずれも万引きでした。盗んだのはいちごサンド、ゼリーなどの食べ物でした。
「食べ吐きのために万引きしました。吐きやすい柔らかいものを狙って盗りました。食べ吐きもやめようと思ってたし、万引きもダメだとわかってました」
彼女は中学生の時から食べては吐いて食べては吐いてを繰り返す拒食症を発症していました。自分の力ではもうどうしようもありませんでした。常に食べ吐きをしていました。
「今日は何を食べて吐こう......そればかり考えていました」
と彼女は話しています。
彼女の診断に当たっていた精神科医によると、
「拒食や過食嘔吐は太りたくないという気持ちから食べることが怖くなったりします。幼少期の不安を抱え込んでいる人がなることが多いです」
ということでした。食べ吐きによる栄養不足で思考力が低下し、自分をコントロール出来なくなって万引きなどの犯罪に走るケースもよく見られることのようです。そして、彼女に関してこう付け加えました。
「医療刑務所で治療と更正をしてもらうのが一番いいと思います。そうでないと、今後もまた同じことを繰り返すと思います」
私は自分で自分をコントロールできない
「小さいころ、あまり両親に構ってもらえませんでした。だから他の子がいつも羨ましかった。おこづかいももらえなくて、昔からお金を遣うのが不安で怖かったです」
こう語る彼女は、摂食障害の典型的なケースです。以前に摂食障害を克復するため病院に通院したこともありましたが、食べ吐きをやめることができなかったのに治ったふりをして通うのをやめてしまいました。
「お父さん、お母さんと離れたくなくて嘘をついていました。その頃から万引きもしていましたし、もし自分の状態を正直に話せば入院させられてしまうと思ったからです」
しかし、20キロ代だった体重が一向に増えなかったため彼女のウソもすぐにバレてしまいました。両親は彼女を家から遠く離れた地方の施設に入所させました。
この施設で彼女はある程度は体力を回復させることが出来ましたが、ルールに従わない、規律を破るなどのトラブルを起こし続け、やがて退所勧告を受けるに至りました。
「親と会えないのが辛くて...。施設ではいつも『帰りたい』と口にしていました。不安と悲しさと寂しさで、病気と向き合うことなんて出来なかった」
両親に会いたい。それだけをただ望み続けた彼女でしたが、両親は施設を退所させられた娘の受け入れを「もう見放す」と告げて拒否しました。
「万引きなんてやりたくない。刑務所にだって絶対に行きたくない。でも...でももう私は自分で自分をコントロールできない」
立っているのも辛そうな彼女は、証言台の前で泣きながら半ば叫ぶようにして言葉を紡ぎだしていました。
彼女がずっと感じていた強烈な飢餓感は何をどんなに食べてもおさまるものではありませんでした。そんなもので心に空いた穴を埋めることなんて出来るはずがないということ、それは彼女にも分かっていました。それでも彼女には食べ吐きを繰り返すことしか出来ませんでした。
たとえ一時的なものであったとしても、自分の不安や寂しさ、辛さを紛らわせる手段は彼女には食べ吐きしかなかったのです。
一時間あまりの裁判の中で彼女は何度も何度も同じ言葉を繰り返して言いました。
「お母さんとお父さんに会いたい」
傍聴席には、彼女の両親らしき人の姿は見当たりませんでした。(取材・文◎鈴木孔明)
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