西城秀樹、彼は間違いなく国民的スーパースターだ。SMAPや嵐にエグザイル系より遥かに優れた音楽センスとパフォーマンス力を持ち合わせ、その魅力溢れるステージをテレビからライブまで隔たりなく披露して存在感を永遠のものとした。
若い子たちはリアルに感じられないまでも「YOUNG MAN」の『Y.M.C.A』のフレーズや『ちびまる子ちゃん』(さくら姉妹がファン)に登場するスーパーアイドルとしても広く認知されているのは言うまでもないが、女の子に限らず男の子たちの憧れでもあった。
西城秀樹さんとの僕との出会い
そんな秀樹さんとは不思議な縁があって、遠くても身近に感じられたスターだった。よく行くホノルルのバーで最初の脳梗塞の発症を秀樹さんと共通の友人から聞いて驚いた思い出があるが、それ以前に「西城秀樹」を作ったプロデューサーが僕の相談相手で芸能界のことをよく教えてくれた。ちなみにそのプロデューサーが「西城」という苗字で芸名「西城秀樹」の由来になっている。
また西城秀樹を輩出したことで老若男女に知名度を広げた当時の所属プロ「芸映」にも何度も行ったことがあるが、秀樹さんより「ヒデキの妹」としてデビューした河合奈保子のほうが興味があったのも言うまでもなく、二人目の「妹」となった石川秀美も健康的で可愛かったが、こちらはシブがき隊の薬丸が付いて離れずだった。
何かと縁がある秀樹さんは、最近では見られないスタイルを持ったアーティストと言えるだろう。何が違うのか時代と背景が異なるので易々と比較は出来ないが、『Y.M.C.A』や『ヒデキ・カンゲキ』など正しく流行語大賞にもなりうる国民的な活躍もあれば、ドラマでは演技、バラエティではコントも熟し、なにより本職では「絶唱型」という独特な歌声と手法も日本人では珍しく、メジャーアーティストでは秀樹さんが初めてではないだろうか。
メディアを通じてもあらゆる影響力を醸し出した秀樹さんに超強力な「友人」が更なる飛躍と名声を支援した。奇しくも同学年の三人(西城秀樹と郷ひろみ・野口五郎)が同時期にデビューして三者三様の活躍を一線で繰り広げていった。いずれも日本を代表するアーティストとなったことから「新御三家」の称号でも親しまれたことで、そのポジションも国民的となり不動となった。彼らは「アイドル」とは異なる「アーティスト性」が非常に高く評価されていたことが、近年のタレントとは違った点であるとも言える。
ニューヨークに家を買ってダンス留学した郷ひろみさん、ギタリストでもある野口五郎さんは演奏や曲作りも多く熟し、秀樹さんもギターやドラムを得意に弾く音楽家でもあり、それぞれが創作と演出をも手掛けられるアーティスト(表現者)であることも大きなポイントだ。
SMAPや嵐のメンバーがそんなテクニックを持ち合わせているかと言えば違う。芸能や音楽の分野に限れば「ホンモノ」らしさという雰囲気は今の時代のアイドルには欠如している。またそういう意味ではTOKIOの根強い人気と支持は頷けると言える。
新御三家から「たのきん」へ
音楽評価のひとつで、最近では「カネで買える」日本レコード大賞が「ホンモノ」であった良き時代の象徴が70年代だろう。新人賞や歌謡賞などあらゆる分野の賞を獲得している新御三家ではあるが、76年には三人が揃い踏みで受賞に輝いている。(郷ひろみ:大衆賞/西城秀樹:歌唱賞/野口五郎:歌唱賞ほか)
そんな栄誉ある新御三家から後を継いだのはジャニーズの三人組「たのきん」だ。空前となった80年代のアイドルブームを作り出したジャニーズの新しいカタチで爆発的な人気を得た「たのきんトリオ」。ドラマで人気者となり、後に音楽デビューという規定路線を方程式のように作り出した。たのきん、シブがき隊、ひかる一平らを輩出するも「御三家」と言われたのは「たのきん」までだった。シブがき隊にはそのポジションが重たかったのだろうか。
当時の芸能雑誌「明星(現在のMyojo)」では、郷=田原、西城=近藤、野口=野村というポジションで御三家という名称を引き継いでいる様子が伺えた記事や写真があった。ダンスパフォーマンスの郷と田原、ギタリストでもあるアーティストの野口と野村、この2組は分かるが、秀樹さんとマッチを同一にしたら国民が怒るだろう。
秀樹さんとマッチの共通点と言えば「ワイルドな17歳」というキャッチフレーズと日本レコード大賞「歌唱賞」を獲っていること、そして「カレー」(CM)などが挙げられるが、秀樹さんは「実力」、マッチは「事務所の力」という見解は僕でなくてもわかることでしょう。
今では日本を代表するギタリストの野村義男さんは、野口五郎さんに当時から影響を受けていて、宝物としたギターを譲り受けたりと親交も深かったが、郷さんとトシちゃん、秀樹さんとマッチは全くない。それ以前にたのきん自体に親交がなく険悪なほど仲が悪いが、新御三家はライバルでありつつも分かち合える友だったと語られている。
そんな雰囲気もなんとなく理解できると思うが、この後、御三家の称号はジャニーズのモノとなり80年代は「たのきん」、90代は「少年御三家(光GENJI・男闘呼組・忍者)」として映えたが、これを最後に消滅していった。
今のジャニーズから御三家を象徴したら近藤真彦、東山紀之、それと佐藤と岡本を超えて中居正広だろうか。この三人か、、、 中居はともかくマッチとヒガシの名前が出るだけで世間から怒られそうな感じもする。それに初代の御三家と新御三家の方々に申し訳がないだろう。
特に秀樹さんにおいてはレジェンドとして芸能史に深く刻まれる御仁である。若すぎる死には非常に残念であり、また非常に寂しく思う。なによりも秀樹さんのようなアーティストが日本からいなくなってしまい、その意思を継ぐ者さえ芸能界に存在していないことも悲しい限りである。(文◎平本淳也)
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