最強のアイドルグループSMAPから当時の中心メンバー・森且行が脱退したのは1996年のことだ。天下のジャニーズを自ら去るなんてことは前代未聞だった。グループの解散や解雇といったことで居場所がなくなり、ジャニーズを泣く泣く去っていった者たちからすれば、信じがたい行動だったが、その後、森は自らの夢を叶えてオートレース選手としてプロデビューを果たし、新人賞も獲得。賞金ランキングでトップ10に入る活躍を見せた。
この世界は結果がすべてである。ジャニーズを辞めて、輝かしい未来を築けたのは郷ひろみを筆頭に田原俊彦、野村義男、本木雅弘、反町隆史など第一線で活躍する方たちも多いが、完全なる異業種のスポーツ競技の分野でトップに立てたのは森且行くらいだろう。この森の必死な努力によって、ジャニーズ事務所の「森且行タブー」は2010年頃を境に解禁されていくことになる。
そもそもデビュー時からSMAPを引っ張って知名度を高めた立役者は森である。SMAPが結成された1988年に『3年B組金八先生』(TBS)に生徒役で出演し、翌年にはドラマ『ツヨシしっかりしなさい』(日本テレビ)でメンバーに先駆けて主演を果たしている。
スラっとした長身と甘いマスクでまさに「王子様」といった印象で人気を集めた森は、SMAPのCDデビューの翌年の1992年にはバラエティ番組『夢がMORIMORI』(フジテレビ)にもメンバー全員でレギュラー出演。森がメインキャストとして扱われたのは番組のタイトルから見ても明らかだった。この番組がSMAPの歌って踊って面白く何でもこなすエンターテイナーとしてのイメージを定着させ、後の人気番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ)へと繋がっていった。この時期の森はSMAPのみならず、ジャニーズ事務所の屋台骨を支える存在だったのだ。
そんな森且行に続いたのが稲垣吾郎だった。1989年にNHK朝の連続テレビ小説『青春家族』で華々しい俳優デビューを飾り、その翌年には『さらば愛しのやくざ』銀幕デビュー。1992年にはドラマ『二十歳の約束』(フジテレビ)で、SMAP初の月9主演を成し遂げた。今ではSMAPで唯一、ドラマや映画で脇役キャスティングを受けるバイプレイヤーとなった稲垣だったが、当時は森と稲垣が間違いなくSMAPを牽引していたのだ。
では、一方の木村拓哉はどうだったか。当初はSMAPのメンバー全員が本名そのままの役名で出演した1989年のドラマ『あぶない少年III』(テレビ東京)くらいの活躍で、デビュー後の3年間は目立った露出はなかった。木村拓哉が自分のステイタスを上げたのは1993年の月9ドラマ『あすなろ白書』(フジテレビ)のことだった。ここでの木村は脇役ながら強烈な個性と輝きを発揮し、平均視聴率は27.0%、最終回視聴率31.9%を記録する。そして1996年、初の単独主演を務めた『ロングバケーション』(フジテレビ)が36.7%という記録的な高視聴率を獲得し、現在の木村拓哉を作ったと言える。木村はジャニーズ事務所のゴリ押しで売れたのではなく、実力で今の立場を掴み取った男なのだ。
余談だが、前出の森が出演した『3年B組金八先生』(88年)は他のシリーズがソフト化される中、このシリーズのみDVD化が見送られていた経緯がある。放送から19年経った2007年に初めて発売となったのは、ジャニーズ事務所で長らく「森且行タブー」が続いていたからだといえる。
「帰ってきたカルチャースタァ☆平本淳也」
Profile●ジャニーズ出身の実業家、作家、投資家。10歳でジャニーズ事務所から芸能界入り、30歳過ぎまでアイ ドルを続け、現在もテレビや雑誌で活躍を続けるなか、月間100万アクセスを獲るカリスマブロガーとしても知られる。22歳のときに物書きデビューして以 来、34冊の書籍を発表。http://ameblo.jp/junya-hiramoto/
Written by 平本淳也
Photo by ロングバケーション [DVD]
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