官製談合という言葉が以前フィーチャーされました。
選択出版時代でした。官製談合の記事を掲載。愛知県のSという会社も登場しました。
また、胡散臭い話には必ずといっていい程登場するフィクサーS氏の存在についても言及しておきました。S氏はコワモテで、取材に対しても普通に恫喝してくる人です。某組織の準構成員との噂も入ってきていました。その組織もイケイケで関わったら「ウルサイ」(業界用語でコワい)事でも知られていました。
記者には、かなり慎重に書いて貰ったのですが、掲載後、早速抗議の電話が会社に来ました。
実質クレーム担当の僕が対応する事になりました。心得として、上司である社長まで行かせない、僕で止める、または、まとめると思っていたので業務命令くらいに感じていました。
とにかくSの抗議の「使者」がすぐに上京してくると言うではないですか。わざわざご苦労だと思い、電話で、
「来て頂かなくて結構です」
と言いましたが、「使者」は強引に約束を僕に取り付けました。予想として不良みたいな人が来るのかなと想像していました。新橋のホテルのラウンジで会いました。ホテルのラウンジはたまにいかがわしい人がいるので、人間観察の場として貴重です。
「使者」はライターの名刺を持っていました。そのアポイントの取り方の強引さから、
社長「おい、こんな記事が載っているぞ。見過ごせないな」
使者→ライター「それなら私が行って黙らせてきます」(想像です)
のノリで来たのかなと感じました。
ヤカラみたいに大人数で来るのではなく、1人で来た事に関してちょっとだけ同情にも似た感情を抱いてしまった事も否めません。
でも、こちらとしても頭を下げる訳には行かず、押し問答になりました。僕は抗議に対して納得がいかないと、「元も子もない」と裏社会の人にも言われた事があるほど頑なです。今は、もう少し聞き分けがよくなりました。
ライターは段々、焦り出したのか自分のボスがいかに凄い人脈を持っているか話し始めました。確かに凄い人脈でした。フィクサーのようなものでした。
でも裏社会の話でした。「それはカマしているんですか? 逆効果になりますよ」と内心思いつつ、またそれによって益々僕の態度も表情も硬化していったと思います。抗議する側も「話せばわかる」という姿勢が大事だと、その時勉強させて頂いた次第です。
一向に歩み寄りを見せない僕に対して、ライターはシビレてきたのか、その場でフィクサー氏に電話をしまたした。
「一度ウチのと話せばわかります」と言ったと思います。僕は「電話をかけるのは自由ですが話すつもりはありません。話して何か解決するのなら別ですが」とだけ言っておきました。
でもライターはとにかく話をしてみてくれと言います。電話がつながりました。使者はフィクサー氏に現在の状況を説明しています。電話口からフィクサー氏らしき人の声も聞こえてきました。ということはかなり、大声を出していたと思います。
ライターはやがて困った顔で携帯電話を僕に差し出してきました。コワモテのフィクサー氏ですが、僕は丁重に「お話する事はありません」「お話する気持ちもありません」とライターに向かって話しました。多分、ライターから見たら慇懃無礼に映ったのではないでしょうか。が、構いません。
「先ほどあなたがおっしゃったような、凄い人たちとの交流を持っている方なら、僕が緊張してしまって話にならないと思いますよ」
とライターに、言います。
ホテルのラウンジにはかなり人がいました。その人たちはどう感じていたのでしょうか。
根負けしたライターは電話を切り、どうしても謝罪できないのかと問うてきました。答えは先ほどと同じです、と僕。おふざけで答えているのではありません。こちらは真剣勝負です。
という事で、ライターとの話し合いは決裂しました。ライターは一晩東京に宿泊して帰って行きました。交通費が無駄でしたが、「だから来ても話す事はない」と言ったのにと、多少同情しました。無理くりに行かされたのでしょうから。
それから後に政界を震撼させる水谷事件......あれはその序章だったんだな、と今改めて思いました。(文◎久田将義 『偉そうにしないでください。』)
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