好運なことに、現在私はたまたま青山墓地のそばに住んでいる。霊園の中通りを散歩するのが好きで、時折ふらりと訪れる。ことに、桜の季節には熱心に足を運ぶ。青山墓地の中通り沿いの桜並木の美しさは格別なのだ。
もうじき桜の季節だ。坂口安吾の『桜の森の満開の下』がどれだけ恐ろしくても、それに先立つ安吾のエッセイ『桜の花盛り』で描写された東京大空襲の犠牲者を焼いた上野の山の桜が哀しかろうとも、桜は異界じみて綺麗である。
もしかすると桜には死との特別な親和性があって、そのせいで他の花にはない美を特権的に与えられているのでは......などと妄想を広げたくなるほどだ。
なんとなく、桜と死者はよく似合うものとして私の心の中では隣り合っている。
今回お届けする体験談は時季を選ぶかもしれないと考えていた。桜の季節に間に合うように発表する機会を得られて嬉しく思う。
千葉県出身の越川健司さんは男ばかりの三人兄弟の次男坊で、現在50歳になる。兄弟は全員それぞれ家庭を営んでおり、どの家にも長年にわたり何ら問題はなく、親族一同順風満帆、何事も無さすぎるのがかえって不思議なくらいだった。
ところが、20年ほど前、越川さんの兄のつれあいが小さな娘2人を残して亡くなってしまった。まだ三十代、心不全による突然の死だった。
子供たちは母親の死が飲み込めないようすで、通夜のときなどもキョトンとしている。兄については、慰めようがないほどの落ち込んでしまった。
兄夫婦は明るく健やかな家庭を営んでいた。越川さんは、在りし日の義姉と兄や姪っ子たちの仲睦まじい、微笑ましいようすを思い出して、ことさらに痛ましく感じた。越川さんの両親も思いは同じだったろう。
葬儀は埼玉県西部の寺で執り行われた。
4月上旬の薄曇りの日。県内のソメイヨシノは五分咲きから七分咲きだったが、葬儀後に皆でそぞろ歩いた霊園の樹は、日当たりを遮るものが辺りにないためかどれも見事に咲いていた。
とくに越川家の墓のそばに、墓石に天蓋をかけるように枝を広げている桜の大木は満開で、風がそよぐたびに花びらを落としはじめていた。
葬儀後すぐに納骨することが昨今では一般的になりつつある。越川さんの義姉のお骨も、荼毘にふしたその日のうちに墓のカロートに納めた。
納骨後、兄が何を思ったか、持っていたアナログカメラでお墓の写真を撮った。桜を背景にした墓石の風情が切ないほど美しかったせいだろうか。人をどかして、お墓だけの写真を撮影した......はずだった。
しかし、写真屋で現像してもらったその写真には、墓石の前に仰向けに寝ている黒衣の女性がはっきりと写っていたのだ。
それも葬儀の日の写真の一枚としていったんは親族に配られたが、物議を醸して、最終的には義姉の母親が回収することになった。
義姉の母に渡してしまう前に、皆であらためて問題の写真を眺めて、感想を話し合った。たしか四十九日のことだったと越川さんは記憶している。
「嫁さんだな」と兄がポツンと呟いた。
咲き誇る桜の下で横たわる女性は、たしかに義姉の顔をしていた。
黒髪の延長であるかのような漆黒の長い衣装に色白の肌が映えている。睫毛を伏せて目を瞑り、死んでいるというより、熟睡しているようなので、まだ死んでいることに気づいていないのではないかと越川さんは思った。
「娘です」と義姉の母は断言した。そして、「私が持って帰ります」と言って、写真を胸に抱いて帰ってしまった。
話の最後に越川さんは、「ところで亡くなった義理(あね)がお墓で着ていた黒い衣装は何でしょう? 『シティ・オブ・エンジェル』という映画で天使たちが着ていたような黒くて長い服ですよ」と私に訊ねた。
私は答えられなかった。黒衣と桜も似合うとは思うが。(「桜の下に眠る」|川奈まり子の奇譚蒐集・連載【五】)
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