集団強姦などの容疑で逮捕され、横浜地検川崎支部から逃げ出した杉本裕太容疑者が話題になっている。先日もドイツ人大学生のウラジミロビッチ容疑者が仙台中央署から逃げ出すという事件があったし、警察の方々には少し気を引き締めてほしいものだ。
さて、容疑者が逃走中というのは身の回りでよく耳にする話だ。去年だけを例にあげても、逃亡がらみの事件が2件あった。
1件目――指名手配されていた知人Hが1年半ほどの逃亡生活の末に逮捕された。Hはわたしの親友の弟分にあたる存在なのだが、四国のとある県では若手の顔役というポジションにいる人物である。彼は複数の容疑で指名手配を受けていたが、警察から特別に逃げ回るふうでもなく、生活をしていた。
わたしはHのことは親友から聞かされていただけでいつか会いたいと思っていた。面会は刑務所の中になるだろうと思っていたのだが、なんと親友から電話があり、Hがわたしに会うため東京に出てくるという。指名手配中なのにいいのか? と思ったが、後日Hはやって来た。しかも10時間以上も車を運転して四国からやってきたのだ。
初めて会ったHは好人物だった。わたしは非常に気に入ったが、「このまま逃げ切れるはずがないから早く捕まったほうがいい」とアドバイスをした。そのほうが結果的に人生のロスタイムを減らすことができる。Hは話を真剣に聞いていたが、まだその気はないようであった。そして東京で一泊だけして、また車で四国に戻っていった。
そのとき、この一般人からしたら不可解なバイタリティーが警察の捜査を掻い潜っているのかもしれないと感じたものだ。四国から車で東京に来て、わたしに会って翌日車を運転して帰る。普通の人間ならば、この行動パターンを読むことはできまい。
しかし、いつまでも逃げ切るのは不可能だったようで、去年の初冬、Hは逮捕された。だが、わたしはこれで良かったと思った。勾留中のHから手紙が来た。そこには更正を誓う言葉が書かれていた。出所はそれほど遠くはない。出てきたら自分にできるだけの援助をしようと思っている。
2件目――これまた警察に追われていた友人Aと、Aに住居を提供した友人Bがそれぞれ逮捕された。警察からマークされていたAはBを頼り、Bの住居に住まわせてもらうことに成功した。これは犯人蔵匿にあたる罪であり、Bもこの時点でなし崩し的に犯罪者になってしまったということになる。Bはお人好し極まりない性格だが、思慮に欠ける部分があり、今回も深くは考えずこの状況を受けて入れてしまった。
しかし、「なにかヤバイんじゃないか」ということは気付いていたようで、わたしにAを匿っているという相談はなかった。そのことが今では悔やまれる。「友人を助ける」というのは人として大切なことだが、そこにつけ込みBを利用したAのことは許せない。相談があれば、ただちにその状況を解消させただろう。
しかも、Bに話を聞くと、潜伏先の住居の向かいのマンションの一室から「光」がチラチラすることがあったという。言うまでもなく、内偵捜査を進めていた警察のカメラだ。その時点でAを追い出せばよかったのだが、すでにBは深みにハマっており、Aと離れることはできなかった。警察にマークされていることを知りながらその生活を続け、ついにAとBは御用となった。
Aはいまだ勾留中だが、去年末にBは保釈され、話を聞きにいった。Bは自分の行為を激しく悔やんでおり、時折涙ぐむ仕草も見せた。「年越しをシャバで迎えられてよかったじゃないか」と言うと、何度も頷いていた。
この2件は逃亡が成就せず、結局勾留された事件である。他にも一度は逃げたもののすぐに捕まったという人間を片手では収まらないほど知っている。警官の中には指名手配犯を捕まえることに情熱を燃やしている人もいて、彼らは指名手配犯の顔写真を記憶に刷り込んでいる。
過去に大阪の路上を歩いているとき、突然「◯◯だな」と声をかけられ、逮捕されたことのある指名手配犯によると「逮捕された時、よく顔が分かりましたねって聞いたんだよ。そうしたら、顔で覚えるんじゃない、俺たちは目で覚えるんだって言われたよ」ということだった。日本の治安というものは、このような警察の働きによって保たれている。
というわけで、杉本裕太容疑者はもっと早く捕まえなければいけなかった。
Written by 草下シンヤ
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