わたしは一生、空気が読めないだろう。「もうそのはなし終わってるから(笑)」と言われる気持ちのこと|成宮アイコ・連載 第十回
2018年03月22日 KY 傷つかない人間なんていると思うなよ 悪口 成宮アイコ
「もうそのはなし終わってるから(笑)」
これは、わたしが今まで言われた言葉のベスト10に入るワードかもしれません。そのたび、「あ、またやったな」と思います。
たとえば友人が、「いつか◯◯(ちょっと遠い観光地とします)に行きたいね」と言ったとします。わたしはもともと旅行好きというわけではないので、そこに行きたいと考えたこと自体がありませんでした。けれど、友人に言われてから気になり始め、なんとなく、行き方やその土地でのふるまい方や、風土などを調べてみたりしているうちに、わたし自身が楽しみになってきたりします。
けれど、「最近その話題がでないな」なんて少し不安に思いつつも、「でも確かに言ってたよね...?」という疑心暗鬼な気持ちとともに、わざとなんでもないように明るい声で、「そういえば、いつ◯◯行く〜?」なんて言ってみると、「それはもう、ちょっとなぁ...それよりもさ」と、違う話題になっていたりします。
こういった、その話はもうなかったことになっている雰囲気の場合、理由が分かることはほとんどありません。相手も気まずいのか、時間が経ちすぎたからなのか、行きたい場所が変わったのか、そもそもが適当に言っただけなのかはわかりません。ただ、なんとなくなかったことになります。そして、こちら側はいつからなかったことになっていたのかなと思い、少しだけ傷つきます。「いつか◯◯に行きたいね」と言っていた声は頭の中に残ったままです。ちょっと楽しみになって行き方まで調べてしまったことは、恥ずかしくて言えませんでした。
思えば学生時代にも、会話のコミュニケーションには苦労させられました。みんなが昨日のドラマの話で盛り上がっているとき、見ていないと言えばしらけさせるだろうし、見たふりをしてもその後が続かないし、じゃあ何をしていたかと言ったらラジオを聴いていたなんて言えば暗いと言われそうだし、本を読んでいたと言えば真面目だからねと揶揄されるし、やっとのことで自分なりの正解にたどり着き、これなら言ってもいいかも! と思って口に出した、「俳優さんは誰が出ているの?」。
返ってきた言葉は、「そのはなしもう終わってるから(笑)」でした。あ、そうだよね〜ごめん、と言ったあとに泣きたくなります。考えているうちにどれか一つでも口に出せばよかった、でも、それが失敗の選択だったらと思うとこわくて何も言えなかったのです。結果、考えて口に出しても失敗をしたので同じことではありますが...。その後もいろいろなパターンで失敗をしました。場を乱すくらいなら黙っていようと思ったら"暗いしつまらない"、ニコニコうなづいていようと思ったら"八方美人"、最初から加わらないでいようと思ったら"無視して感じ悪い"。良い距離感のコミュニケーションはあまりにも難しく、今でもあまり得意ではありません。
自分だけが地縛霊のようにとどまり続けている
"なかったこと認定" されたものが嬉しい言葉だった場合は、もっと落胆をします。「あれは嬉しかったな」なんて思い出話のように話題を出し、「そんなことあったっけ」となんとなくスルーされる場合も、「もうその話はするな」という表情をされる場合も、こちらは「あれは嬉しかったな」の笑顔のまま固まるしかなくなります。
もう話題にしてはいけなそうなできごと、わたしの中だけに残っている確かにあったできごとは、"なかったこと認定" がされた途端、現実としてあつかってもらえなくなります。言葉の意味は、その人との関係性で変わってしまうこともあるようです。悲しい言葉も、嬉しい言葉も、いつの間にかなかったことになっているのです。
どうやら言葉というものは、いつのまにか有効期限切れが起こっていたり、変化して別物になっていたり、何もなかったことになっていたりします。サンドイッチに賞味期限があるように、どうやら言葉にも効果のある期限があるようです。
あったはずのものがなかったことにされているとき、自分だけがまだそのはなしをしているとき、なかったことになっている言葉に傷つき続けているとき、さらには、なかったことにされてしまうことでさらに悲しくなり、地縛霊のようにそこに取り残されてしまうとき、心の中で、「またこれ! いつの間にかなかったことになるやつ! うけるー」などと笑ってみたりします。もちろん、全然"うけて"いません。ですが、まわりはなかったことをすんなり受け入れている(ように見える)ため、ひきずっている自分や期待した自分に気づかれないように、「だよね」なんて笑ってしまうのです。
なんだか、みんななかったことにするのが上手です。なかったことになっても驚かないふりをするのも上手です。あるいは驚かないふりではなく、実際に驚いていないのかもしれません。「はい、今から終わりました、これ以降はなかったことになります」という合図でもあれば助かるのですが、だいたいの人はそれがなくても自然にできているようです。それなのに、なかったことになっていることすら気づかずに、"ある"という認識で話し出したりするわたしはほんとうに、「おまえ空気読めよ」という感じなのでしょう。振り返れば、人生のところどころに、取り残されてしまった地縛霊がいます。
「空気読めよ」と言われてしまう側のわたしたち
ところで、この文章を書いていて気づいたのですが、わたしは言葉(特に自分自身の言葉)に対して、最後の手段というすがりたいような気持ちと同じくらい、声に出せば消えるし、本を閉じれば(もしくはブラウザを閉じれば)文字は消えるし、薄っぺらくて頼りない、まるで信用のないものと思っていたのですが、どうやら言葉は全く消えないのかもしれません。
これまでに書いてきたようなできごとは記憶の中に残り続けているし、何度も確かめるように引っ張り出しては当時と同じように傷つき続けることができます。いくらなかったことにされてしまっても、言葉が消えないのならば、せめてその重みをわたしたちは覚えていたい。そうすればきっと他人に同じことはしないと思うからです。そして、なかったことにしたい場合も、そこにできるだけ理由を追加して話せるようでありたいなと思うのでした。理由のわからないふわっとしたスルーほど、「なぜだろう」と気になったり、ときには「言ってたくせに」と恨んだり、「嫌われたり怒らせたのだろうか」と無駄な不安をあおるものはないと思うからです。
うじうじとしていて、いつまでもカラっと晴天になれず、「空気読めよ」と言われてしまう側のわたしたちは、好きなものだけ集めたせまい部屋と、好きな情報だけリストにしたせまいインターネットの中では思う存分愚痴をはいていましょう。偽名でもいいから、ひとつくらい本当が言える逃げ場所があったほうがいいと思うからです。そして徐々に、社会自体もそんな場所になっていけば少しだけ生きやすくなるはず。そのためにできることはなんだろうと考えているところです。
「そのはなしもう終わってるから(笑)」はやっぱり悲しかった。「そのはなしもう終わり」にできないわたしは、10年以上前の愚痴をいまだに垂れ流してしまいます。
(成宮アイコ・連載『傷つかない人間なんていると思うなよ』第十回)
文◎成宮アイコ
https://twitter.com/aico_narumiya
赤い紙に書いた詩や短歌を読み捨てていく朗読詩人。
朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ全国で興行。
生きづらさや社会問題に対する赤裸々な言動により
たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと決めている。
2017年9月「あなたとわたしのドキュメンタリー」(書肆侃侃房)刊行。
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