悪意をもって人を傷つけること
アメフトのタックル事件が問題になっています。
意図的に相手を傷つける動画がニュースで繰り返し放送されるたびに、仮面女子の猪狩ともかさん(湯島聖堂の看板が倒れ、腰の骨を折る大怪我をされました)のことを思い出して辛い気持ちになり、直視ができません。
監督が相手の選手を「つぶせ」「壊せ」と言ったとしたならば、どんな気持ちで言ったのでしょうか。選手はどんな気持ちでそれを聞き、行動にうつしたのでしょうか。
給食の時間にできた「2センチの離島」
小学生のころ、給食を食べるときにそれぞれの机を動かして向かい合わせ、6人ほどの班グループを作ることになっていました。
学年も上のほうになると、わかりやすい女子らしさを幼稚に思うのか、ヒラヒラしたものやピンク色に批判的になる雰囲気がありました。そういったものを身につけている子は、"ぶりっこ"扱いをされ、本人がいないところで悪口を言われます。悪いことをしている認識が(少しは)あるので、その儀式はこっそりを行われ、秘密を共有することでグループのつながりは強くなっていくようでした。
いま思えば、魔女狩りのように、"ぶりっこ"であるかどうかという基準だけで、悪口を言うターゲットがまわっていたような気がします。きっと、誰でもよかったのです。悪口を言うことで、自分の身をまもり、結束したグループに所属ができればそれで良かったのです。
わたしは当時、セーラームーンが好きで、えんぴつも下敷きもノートも全部、セーラームーンのグッズを使っていました。もちろんセーラー戦士に憧れていたので髪は長めに伸ばして、ふたつに結んでもらったりもしました。そういった持ち物・服装・髪型、それに加えて人見知りのため声が小さい、読書が好きでスポーツが致命的に苦手......つまり、"ぶりっこ"という悪口を言われるための要素をかねそなえていました。
ふでばこからセーラームーンのえんぴつがすべてなくなっていた日、次は自分か、と覚悟をしました。それでも、かわいくないえんぴつはどうしても使いたくありませんでした。好きなものに囲まれていないと、家の中の地獄に耐えられなかったのです。"ぶりっこ"と揶揄されるような"かわいい"ものたちは、わたしの精神を支えてくれる宝物でした。
12時30分。いつも通り、給食の時間。班を作ろうと机を動かすと、わたしの机の四角形の全方向が、少しだけ離されていました。右、右前、前、左前、左。2センチほどの離島です。遠巻きに見る先生は気づかないようなスキマです。班のみんなは誰もわたしに話しかけてきません。小さい声で笑い声が聞こえて、悟りました。
「机をくっつけるとぶりっこがうつるからやだ」「キモい〜」
そして、わたしも同じことをした
しかし、わたしは大きな声をあげて傷つく権利がありません。
なぜなら、わたしも同じことをしたからです。
徐々にわたしの机が、「2センチの離島」にならなくなり、胸をなでおろしていると、次は斜め前の男子にターゲットがまわりました。うわさ話に入れてもらえるようなカーストにいなかったわたしは、理由も知らないのに、「2センチの離島」を作る側にまわりました。
その班の人しか気づかないような離島。ついこの前まではわたしがその島の住人だったのに、今日は島の存在にも気づかないふりをして、まるで作業のように給食を食べます。その日のこんだては今でも覚えています。コッペパンといちごジャム、クリームシチュー、透明ドレッシングのサラダ、牛乳。大好きなクリームシチューは味がしませんでした。心臓がドキドキと早く鳴り、じゃがいもを噛み締めていると嗚咽が漏れそうになります。
わたしたちは、「誰でもいい、ただし、自分以外ならば」という暗黙の了解をもって順番をまわしあったのです。しなければ自分の番、けれど、しても自分の番は来ます。
あの離島で自分自信が明確に傷ついたくせに、2センチを消す勇気は、わたしにはありませんでした。
「誰でも良かった」だなんて、まるで通り魔です。
自分と写真なんて撮らないほうがいいよ
「自分と写真なんて撮らないほうがいいよ」
人生で一度だけ、そう言われたことがあります。
学生も終わり社会人になったころ、友人と、友人の彼のお店でご飯を食べていたときのことです。えっ......と思い、びっくりして顔をあげると、友人の彼は、「こんな写真アップしたらアイコちゃんまで叩かれちゃうよ」と笑いながら言いました。その意味がわからず、「写真苦手?! ごめんね」と言ったのですが、曖昧に笑うばかりだったので、楽しい思い出は大事に残したかったなぁと思いつつも、そのままなんとなく写真は撮りませんでした。
彼のお母さんは、海外の出身です。
日本ではあまり見ないようなドライフルーツや、甘かったり辛かったりするいろんな種類の漬物を持ってきてくれました。「おいしい!」と言うたびに「これも食べてみなー」といろいろなものが出てきます。料理の名前も聞きましたが、耳馴染みのない発音だったのですぐに忘れてしまいました。知らない調味料が並ぶ調理台、コンロにのっていたヤカンは、底がすすけて黒くなっていました。「底が真っ黒なの、小さいころに実家で使っていたヤカンにそっくり、なつかしい」と言うと、お母さんは、「どこんち(どこの家)も同じねー」と笑いました。
音楽つながりで仲良くなった友人だったので、それぞれの本名や年齢もわからず、知っているのはメールアドレスとハンドルネーム、どんな音楽が好きなのかということだけでした。しばらくしてわたしたちはそれぞれ就職や引っ越しをし、関係はなんとなくフェードアウト。気がつけば連絡をとらなくなりましたが、確かにあのころ、わたしたちは一緒においしいものを食べて、楽しい思い出をたくさんつくりました。
数年後、ヘイトスピーチが大きな問題となり、わたしは現実を知りました。あの日、友人の彼が言った言葉の意味に初めて気づきました。同じ音楽が好きで、家で同じヤカンを使っていても、同じごはんを食べて「おいしいね」と笑っていても、「自分と写真なんて撮らないほうがいいよ」と言わせてしまう現実。
彼は、どんな気持ちでそう言ったのだろう。
「2センチの離島」ではとても足りないようなことを体験してきたのだと思うと、息がつまりそうになりました。
大きな傘の中で、傘の外を見下しても自分の位置は変わらない
わたしは自分を守るために、斜め前の席の男子を傷つけました。しかし、同じ傘の中であつまって、傘の外にいる他人を見下しても、そのぶんだけ自分の立場があがることはありません。実際の自分の位置はなにも変わらないのです。
そうは言っても人間です。
「2センチの離島」になることを恐れます。わたしもそうです。あの給食の時間を思い出せば、自分は違うなんて決して言えません。
そして、傘の下にしかいられない不自由さはわたしたちを不安にさせます。自分の足元を守るために、「2センチの離島」に排除をしたり、「相手をつぶせ」と言ったり、差別的な発言をします。
大きな傘の下に入ることをやめて、大きな地面の上に立つイメージに変えてみたらなんだか楽になるような気がしました。身を寄せ合い、自分の立場と足元を守らなくても、どこにでも歩いていけます。(しかし、残念ながら、忘れてしまいたいほどの後悔をもってから、やっと気がつきました。)
排除する人を排除しても終わらないので、椅子取りゲームのように自分の立場と足元を守らないと生きていけない環境を、そうせざるをえなかった原因を、ひとつづつ解消していくことを考えたい。笑われそうですが、できるだけ優しい方法で。
そうじゃなければ、あのヤカンも、あのじゃがいもも、自分自身の過去に落とし前がつかないのです。
傘なんて、はじめからないんだよ。
これは、あの給食の時間に戻れないかわりに、これからの自分に言いつづけたい言葉なのです。
(成宮アイコ・連載『傷つかない人間なんていると思うなよ』第十四回)
文◎成宮アイコ
https://twitter.com/aico_narumiya
赤い紙に書いた詩や短歌を読み捨てていく朗読詩人。
朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ全国で興行。
生きづらさや社会問題に対する赤裸々な言動により
たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと決めている。
2017年9月「あなたとわたしのドキュメンタリー」(書肆侃侃房)刊行。
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