学年に何人かいた障害を抱えた生徒たちは私の心の支えでした|文◎あもり(欠損バー『ブッシュドノエル』所属)

2018年01月26日 

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私の通っていた小中学校はほぼ顔馴染みで、9年を共に過ごしていた環境でした。いち学年に150名ほどの生徒がいました。

私の欠損、先天性四肢障害は1000人に1人の確率ときいたことがあります。

同じ障害を持っている子はいませんでしたが、各学年に特別支援学級の子、スキンヘッドの女の子、顔半分が青色の女の子がいたりと色んな子がいました。特に関わりを持っていませんでしたが、実はこっそりと心の支えになっている存在でした。


私は小4でバレーボール部へ入りましたが、その時も特別な存在の先輩がいました。
先輩は幼少期に熱湯をかぶり片腕に大火傷を負っていました。火傷した部分は成長が止まってしまったようで、成長していく皮膚との境目をテープのようなもので繋ぎ止めているの見たことがあります。毎日ケアをしながらバレーに励んでいたのです。
先輩は副キャプテンでバレーの技術もとても素晴らしく、常にチームの中心にいて欠かせない存在でした。

いつも堂々と半袖のユニフォームを纏う先輩。その姿は当時から心の醜い私にはこれまた眩しかった。乙武洋匡さんとは違い、目をそらせない身近な人でした。

私の右手がないことは特にチームに影響があるわけではなく、誰にも触れられないまま過ごしていましたが、思春期に入るとどうしても気になりだします。隠すに隠せないため戸惑いを感じ、少し自暴自棄になってしまった時に先輩が私を呼び止めました。

「私も人の目が気になる」

先輩はそう言ってくれました。まさかそんなことを言うとは思っていなかったので驚きました。

「でも負けない」

そう続きました。
私にはない強さを持っていて、そんな先輩が羨ましく悔しさが込み上げました。当時、私たちは若干13歳と12歳でした。自分だけではなく、私まで救おうとしてくれた先輩にとても感謝でいっぱいです。


欠損バーにはたくさんの方々がいらしてくださいます。障害者でも健常者でも、人はみんな抱えているものがありますよね。それがお店に来て頂くことで少しでも楽になっていただけたら...と思っています。

あの時の先輩のように私も誰かを救うことができたら......。


文◎あもり(欠損バー『ブッシュドノエル』所属)

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